え〜と、今年は平成何年でしたっけ?
毎年恒例の確定申告書をつくりながら、じつはコレも毎度のことなのだが年度記入欄で立ち止まってしまった(笑)。そうなのである。こんなことは自慢にもなんにもなりはしないけれど、元号をもって今年だの昨年だの来年だのとがわからないのである。なにしろ公私とも元号を使わないのだから仕方のないことではあるのだが。
毎年恒例の確定申告書をつくりながら、じつはコレも毎度のことなのだが年度記入欄で立ち止まってしまった(笑)。そうなのである。こんなことは自慢にもなんにもなりはしないけれど、元号をもって今年だの昨年だの来年だのとがわからないのである。なにしろ公私とも元号を使わないのだから仕方のないことではあるのだが。
そんなものは新聞の日づけでもみればわかりそうなものだが、ふと気づいて鉄道の切符(と領収書)をみてみた。伝統的に(?)、鉄道業界は元号を使ってきたからだ。すると見事に西暦表記だけになっている。部屋のカレンダーも西暦のみだし、携帯電話もまた然り。もちろんMac上の表示もである。
考えてみると、元号を使うケースというのは、ほとんど役所関係の書類上ばかりではないのか? 仕事上(原稿づくり)の都合で西暦と併記する場合もあるとはいえ、現行の「平成」にいたってはそれすらも稀。基本的に必要がないからだ。せいぜいが「平成の大不況」の類ぐらいしか思いつかないが、案外こういうひとは少なくないのではないだろうか。
まずその不便さ。ひとつには、元号によってしまうと近代以降のほんの少し前のできごとでさえ何年前なのかが咄嗟にわからないことが挙げられる。さきほどテレビニュースをつけていたら、古墳の壁画が発見から40年といった話題が流されていた。テロップには「昭和47年」。しかし、いきなり「昭和47年」とみせられて、そのままそれが2012年だか平成24年だかの「40年前」と、はたしてどれだけのひとが判別をつけられるだろうか。なぜ、こんな不便きわまりない慣例がいまだに使われているのかが不思議でならないのである。西暦が最上の紀年法かどうかについては意見があろうけれど(世界的にみればさまざまな紀年法がある)、改元を伴う紀年法としての元号が、けっして使い勝手のいい性質を持つものでないことを認めないわけにはいかないのではないだろうか。なにしろ、改元のたびに「元年」にリセットされてしまうのだ。その結果、ややもすればほんの数年間でさえ咄嗟には判別がつかないという事態になりかねないのである。しかるに、そんな不便な表記を強制するわが国の役所。くわえていえば、改元があれば現行の書類だってつくり直さなければならないだろう。もったいない……。まったくもって理解不能の習慣であり強制ではないか。
元号については、いまひとつの特徴として天皇の治世とイコールであることが挙げられる。したがって、天皇制になんらかの疑念を抱くひとびとにとっては元号の使用についても疑問を持つことになろう。逆に、天皇制を礼賛(だけならいいが、これがまたほぼイコールで明治憲法的天皇制の復活に結びついているのが不思議だ)するひとびとにとっては手放すわけにはいかない習慣かもしれない。だが、「イコール」と定められたのは明治になってからの比較的新しい習慣であり強制である。それ以前から、たしかに新天皇の即位にさいして改元される習慣もあったものの、1代で数度にわたり改元された例もあれば、独自の元号を持たなかった天皇もいた。つまり、わが国の持つ伝統的紀年法であることを否定はしないけれど、それ以外にこれを尊重する理由もないことになろう。天皇制の熱烈な支持者にとってもだ。
ところが、現行では天皇の代とイコールと定められ、役所ではその使用を強制している。これははたしてどういう理由からなのだろうか。天皇がわが国の「象徴」だから「治世」を表わす元号を用いるということなのか。あるいは事務的に優位な点があるのだろうか。西暦表記でなにか都合の悪いことでもあるのだろうか。伝統的紀年法というレベルでただちに撤廃せよとまでは思わないが、少なくとも役所のような公式の書類などでの強制的使用について考え直してみることはできないのだろうかと思う(「公式」という観点で、たとえば国際的行事──国賓の来日など──にさいしてはどうしているのかな?)。
もっとも、たとえば手元にある新聞2紙(「朝日」と「東京」)をみれば「2012年(平成24年)」と元号の側をカッコに収めてあるし、鉄道の例もあるなど徐々に変化が起きているようだ。さすがにそんなところにまで強制はできないということであろう。それにしても摩訶不思議な役所の思想ではないか……。
*補足:
なお、ここで問題としているのは、あくまで役所がその使用を強制している事実についてである。書類提出などにさいし、試みにあえて西暦で記入してみたらどうかということもあるが、元号にせよなんにせよ、あくまで個人なりが自由に使うぶんにはなんら問題はない。
ところで、「昭和サウンド」「大正ロマン」のように元号を用いた慣例句がある。なかには使い勝手のいい言葉もあり、ときには自分自身も使うことがある。しかし、これだってよくよく考えてみれば、ひとくちに「昭和」といったって戦前・戦中の「昭和」もあれば終戦直後の「昭和」もあるし高度成長期の「昭和」、バブル期の「昭和」などさまざまある。こんなことをいちいち指摘するのもヤボというものだが、これだって使う使わないは個人の自由。繰り返すが、問題は役所側からの一方的強制にある。
考えてみると、元号を使うケースというのは、ほとんど役所関係の書類上ばかりではないのか? 仕事上(原稿づくり)の都合で西暦と併記する場合もあるとはいえ、現行の「平成」にいたってはそれすらも稀。基本的に必要がないからだ。せいぜいが「平成の大不況」の類ぐらいしか思いつかないが、案外こういうひとは少なくないのではないだろうか。
まずその不便さ。ひとつには、元号によってしまうと近代以降のほんの少し前のできごとでさえ何年前なのかが咄嗟にわからないことが挙げられる。さきほどテレビニュースをつけていたら、古墳の壁画が発見から40年といった話題が流されていた。テロップには「昭和47年」。しかし、いきなり「昭和47年」とみせられて、そのままそれが2012年だか平成24年だかの「40年前」と、はたしてどれだけのひとが判別をつけられるだろうか。なぜ、こんな不便きわまりない慣例がいまだに使われているのかが不思議でならないのである。西暦が最上の紀年法かどうかについては意見があろうけれど(世界的にみればさまざまな紀年法がある)、改元を伴う紀年法としての元号が、けっして使い勝手のいい性質を持つものでないことを認めないわけにはいかないのではないだろうか。なにしろ、改元のたびに「元年」にリセットされてしまうのだ。その結果、ややもすればほんの数年間でさえ咄嗟には判別がつかないという事態になりかねないのである。しかるに、そんな不便な表記を強制するわが国の役所。くわえていえば、改元があれば現行の書類だってつくり直さなければならないだろう。もったいない……。まったくもって理解不能の習慣であり強制ではないか。
元号については、いまひとつの特徴として天皇の治世とイコールであることが挙げられる。したがって、天皇制になんらかの疑念を抱くひとびとにとっては元号の使用についても疑問を持つことになろう。逆に、天皇制を礼賛(だけならいいが、これがまたほぼイコールで明治憲法的天皇制の復活に結びついているのが不思議だ)するひとびとにとっては手放すわけにはいかない習慣かもしれない。だが、「イコール」と定められたのは明治になってからの比較的新しい習慣であり強制である。それ以前から、たしかに新天皇の即位にさいして改元される習慣もあったものの、1代で数度にわたり改元された例もあれば、独自の元号を持たなかった天皇もいた。つまり、わが国の持つ伝統的紀年法であることを否定はしないけれど、それ以外にこれを尊重する理由もないことになろう。天皇制の熱烈な支持者にとってもだ。
ところが、現行では天皇の代とイコールと定められ、役所ではその使用を強制している。これははたしてどういう理由からなのだろうか。天皇がわが国の「象徴」だから「治世」を表わす元号を用いるということなのか。あるいは事務的に優位な点があるのだろうか。西暦表記でなにか都合の悪いことでもあるのだろうか。伝統的紀年法というレベルでただちに撤廃せよとまでは思わないが、少なくとも役所のような公式の書類などでの強制的使用について考え直してみることはできないのだろうかと思う(「公式」という観点で、たとえば国際的行事──国賓の来日など──にさいしてはどうしているのかな?)。
もっとも、たとえば手元にある新聞2紙(「朝日」と「東京」)をみれば「2012年(平成24年)」と元号の側をカッコに収めてあるし、鉄道の例もあるなど徐々に変化が起きているようだ。さすがにそんなところにまで強制はできないということであろう。それにしても摩訶不思議な役所の思想ではないか……。
*補足:
なお、ここで問題としているのは、あくまで役所がその使用を強制している事実についてである。書類提出などにさいし、試みにあえて西暦で記入してみたらどうかということもあるが、元号にせよなんにせよ、あくまで個人なりが自由に使うぶんにはなんら問題はない。
ところで、「昭和サウンド」「大正ロマン」のように元号を用いた慣例句がある。なかには使い勝手のいい言葉もあり、ときには自分自身も使うことがある。しかし、これだってよくよく考えてみれば、ひとくちに「昭和」といったって戦前・戦中の「昭和」もあれば終戦直後の「昭和」もあるし高度成長期の「昭和」、バブル期の「昭和」などさまざまある。こんなことをいちいち指摘するのもヤボというものだが、これだって使う使わないは個人の自由。繰り返すが、問題は役所側からの一方的強制にある。
PR
- カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
- プロフィール
HN:
猫池
HP:
性別:
男性
職業:
レジャーライター
自己紹介:
レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
- ブログ内検索
- 新着記事
(03/17)
(12/13)
(11/01)
(12/17)
(09/28)
- アクセス解析
Copyright © Blog a_Tocsin All Rights Reserved.