地元・千葉県で開催されているデスティネーションキャンペーン(ちばDC。以下DC)が好調に推移しているらしい。「交通新聞」の配信によれば、JR東日本のパックツアー関連で2万7000人などの送客目標(前年同期比150%)に対して、2月末時点ですでに2万人を超える予約が入るなど、順調といっていい状況だという。目立つところでは蒸気機関車牽引による臨時列車の運転があって報道もされたけれど、観光地や観光業などに直接関わるのでなければ、案外こうした賑わいはわからないものだ。某県のDCにからむ仕事をしたこともあるが、こうして好もしい成績をみれば、あのときの行政担当者の熱心さの理由もよくわかろうというものである。
ご存じのない方のために若干の解説をすると、DCとはようは観光誘致施策のひとつである。JRグループ旅客各社と地方行政および該当地域の観光業者などが合同で開催する観光宣伝で、都道府県単位で期間を区切りながら各地で行なわれているものだ。国鉄時代の1978(昭和53)年11月の和歌山県「きらめく紀州路」が嚆矢だが、東京圏での開催は今回が初。今年2月から4月の3カ月間にわたって観光臨時列車の運転や各種催しが開催されている。
というわけで、今回は鉄道がらみの所感を少し。
地元のキャンペーンが順調なことはなんとも喜ばしい限りだが、もちろん一過性の好調で終わってしまってはさほどの意味がなくなるだろう。せっかく足を運んでくれたひとびとに、またでかけてみよう、あるいはこんどは千葉のほかのところにも行ってみようと思ってもらうことが大切である。もちろんそんなことは関係者にとってはあたりまえのことだと思うが、実際に県下を歩いていると、そんな常識もいささか空虚なお題目に感じられてきた。といっても、さしあたりは“主役”の鉄道についてなのだが……。
いうまでもなく、DCにとって大切なことのひとつは、来訪者に鉄道を使ってもらえるようにするところにある。なにしろ主体はJRという鉄道会社でだから当然のことであろう。それゆえの蒸機運転であり、「リゾートしらかみ」仕立ての臨時列車の運転(画像参照)があったのだ。もちろん主要駅には関連のチラシやパンフレット類が置かれていたり、一部の車両にラッピングデザインを施し、キャンペーンの誇示してもいる。だが、千葉県内のJR線を利用していて、肝心要の接客ということをみると、どうも合格点があげられないなとも感じた。
その要因のひとつは駅など現場職員への意識の不徹底だろう。
A駅では改札口に腕組みをしてつったっている年輩の職員がいて驚かされた。こちらは乗り降り自由の「青春18きっぷ」を持っていたので、それでもひとこと「途中下車します」と声をかけて降りたものだが、ブスっとした表情のままちらりときっぷを一瞥するだけで「ありがとうございました」の声が出るわけでもない。日常の利用者でないことは持っているきっぷをみればわかったろうから、だれかれ構わず同じような態度で日々の接客をしているのであろうなァ……。DCにのせられてやってきた観光客だったりしたら、せっかくの行楽気分も台なしである。再び駅に戻ったさいにも同じ男がいたが、腕組みは相変わらず。その不遜な雰囲気はまるで憲兵である。しかしひょっとすると口がきけないのではないかとも思いすらしたものだが、列車が侵入する直前には「千葉ゆきがきます」とマイクで放送していた。なかなかの美声だったですがね。
この駅、待ち合い室のベンチには座ぶとんが敷かれるなどそういった点ではよかったが(JRによるサービスかどうかは不明)、あんな接客ではいかんともしがたい。
N駅では出先ではあったがたまたま取材旅行のための指定券を買う必要があり、出札口に申し込んだことがある。別段特殊なきっぷではなかったが、そのときに係員はなぜかマルス(指定席類の発券装置)がスムーズに操作できずになかなかきっぷが出てこない。すると、
「お客さ〜ん。この列車にはこの設備はないんですよ」
と、ちょっとコバカにしたような表情でのたまった。しかしなんどか利用している列車であり設備である。そんなバカなことはないので、マルスの脇に備えつけてある時刻表をみるように指摘してやった。そうすればもちろん駅員自らの勘違いがわかるからだ。しかし、自分の誤りに気づいたその男、黙ったまま再び機械に向かっただけ。「お客さん、わたしの勘違いでした」のひとことでもあればまだしもだが。だから、
「で、どうなんだ? あったのか、なかったのか?」
と意地悪く訊いたやったけれど、相変わらず黙りのまま。そんな駅の売り上げに貢献するつもりはさらさらないので申し込み用紙を回収して別の駅(同じ千葉県内の駅だが、こちらはきちんとやってくれた)で購入した。ほかに望むべき交通手段がオレにとってはなかったのでこうなったが、そうでなければJRの利用そのものをお断りしてもいいケースかもしれない。
近いケースでは、やはりきちんと機械を使えずに発券できない言い訳として、
「すみません。ウチ(O駅)のこの機械は都内の駅とは違って、旧式なので時間がかかりすぎちゃうんです」
ときたことがあった。もちろん駅員の言い逃れである。そんなものはみればおおよそのことはわかるし、実際、別の日に隣の駅で「こんなことがあったんですよ」と訊ねてみたら、「それはおかしいですね」とそのときの対応にクビをかしげたものだ。
ここで述べた例はやや極端かもしれないが、これほどまでとはいかなくても接客態度が不馴れあるいは疑問を抱かされることはけっして少なくない。もちろんきちんとした社員のほうが多いし、逆に気持ちのいい接客を受けることも少なくないのだけれど、そうしたマトモなスタッフの努力も、ほんのひとにぎりの“失敗”によって打ち消されてしまう。これは鉄道に限らず、大半の接客産業に関わる事実であろうと思うが。
ある知人が、
「(鉄道)旅行から帰ってきて、地元に戻ってくると、その接客にガッカリさせられることがあるんですよー」
と言った。そのひとは東京都内在住なので、地元とは東京都区内あるいはJR東日本のことをさす。じつはオレもまったく同感なのでそのときはちょっと盛り上がったものだったが、いずれ「各鉄道会社接客サービスランキング」でもつくってみようかなと思ってみたものだ。
近ごろは出改札ともに自動化が著しいうえに、保安上不可欠と思われる駅ホーム上にさえ駅員の姿がみられないことも少なくなく、鉄道会社職員と直に接する機会が減った。一部では車内改札の省略すら進められていてますます無人化が進む状況だが、利用者のほうもあるいはそんな鉄道に慣れきってしまい、一見すると人間不在の鉄道があたりまえになってきてしまったのかもしれない。だが、結局は人間が介在しなければ動かせないのが鉄道である。運転士しかり、保線など設備の保守しかり、乗客への案内しかり……。このうち乗客に直接的に接する部門(出改札やホームなど)には営業としての役割もあるハズだ。単なるセールスということでなしに、自社としてのイメージにも大きく関わってくるから大切な仕事ではないか。
そうした重要な役割に対して、もっともっと真剣に取組んでいただきたいと思う。DCということであれこれ目立つ施策を打つのも結構だが、同時に礼を失しない接客とはなにかということを再度見直してもらいたいと思うのである。
ほかにも書き記したいことはあるが、これは別の機会にて……。
いうまでもなく、DCにとって大切なことのひとつは、来訪者に鉄道を使ってもらえるようにするところにある。なにしろ主体はJRという鉄道会社でだから当然のことであろう。それゆえの蒸機運転であり、「リゾートしらかみ」仕立ての臨時列車の運転(画像参照)があったのだ。もちろん主要駅には関連のチラシやパンフレット類が置かれていたり、一部の車両にラッピングデザインを施し、キャンペーンの誇示してもいる。だが、千葉県内のJR線を利用していて、肝心要の接客ということをみると、どうも合格点があげられないなとも感じた。
その要因のひとつは駅など現場職員への意識の不徹底だろう。
A駅では改札口に腕組みをしてつったっている年輩の職員がいて驚かされた。こちらは乗り降り自由の「青春18きっぷ」を持っていたので、それでもひとこと「途中下車します」と声をかけて降りたものだが、ブスっとした表情のままちらりときっぷを一瞥するだけで「ありがとうございました」の声が出るわけでもない。日常の利用者でないことは持っているきっぷをみればわかったろうから、だれかれ構わず同じような態度で日々の接客をしているのであろうなァ……。DCにのせられてやってきた観光客だったりしたら、せっかくの行楽気分も台なしである。再び駅に戻ったさいにも同じ男がいたが、腕組みは相変わらず。その不遜な雰囲気はまるで憲兵である。しかしひょっとすると口がきけないのではないかとも思いすらしたものだが、列車が侵入する直前には「千葉ゆきがきます」とマイクで放送していた。なかなかの美声だったですがね。
この駅、待ち合い室のベンチには座ぶとんが敷かれるなどそういった点ではよかったが(JRによるサービスかどうかは不明)、あんな接客ではいかんともしがたい。
N駅では出先ではあったがたまたま取材旅行のための指定券を買う必要があり、出札口に申し込んだことがある。別段特殊なきっぷではなかったが、そのときに係員はなぜかマルス(指定席類の発券装置)がスムーズに操作できずになかなかきっぷが出てこない。すると、
「お客さ〜ん。この列車にはこの設備はないんですよ」
と、ちょっとコバカにしたような表情でのたまった。しかしなんどか利用している列車であり設備である。そんなバカなことはないので、マルスの脇に備えつけてある時刻表をみるように指摘してやった。そうすればもちろん駅員自らの勘違いがわかるからだ。しかし、自分の誤りに気づいたその男、黙ったまま再び機械に向かっただけ。「お客さん、わたしの勘違いでした」のひとことでもあればまだしもだが。だから、
「で、どうなんだ? あったのか、なかったのか?」
と意地悪く訊いたやったけれど、相変わらず黙りのまま。そんな駅の売り上げに貢献するつもりはさらさらないので申し込み用紙を回収して別の駅(同じ千葉県内の駅だが、こちらはきちんとやってくれた)で購入した。ほかに望むべき交通手段がオレにとってはなかったのでこうなったが、そうでなければJRの利用そのものをお断りしてもいいケースかもしれない。
近いケースでは、やはりきちんと機械を使えずに発券できない言い訳として、
「すみません。ウチ(O駅)のこの機械は都内の駅とは違って、旧式なので時間がかかりすぎちゃうんです」
ときたことがあった。もちろん駅員の言い逃れである。そんなものはみればおおよそのことはわかるし、実際、別の日に隣の駅で「こんなことがあったんですよ」と訊ねてみたら、「それはおかしいですね」とそのときの対応にクビをかしげたものだ。
ここで述べた例はやや極端かもしれないが、これほどまでとはいかなくても接客態度が不馴れあるいは疑問を抱かされることはけっして少なくない。もちろんきちんとした社員のほうが多いし、逆に気持ちのいい接客を受けることも少なくないのだけれど、そうしたマトモなスタッフの努力も、ほんのひとにぎりの“失敗”によって打ち消されてしまう。これは鉄道に限らず、大半の接客産業に関わる事実であろうと思うが。
ある知人が、
「(鉄道)旅行から帰ってきて、地元に戻ってくると、その接客にガッカリさせられることがあるんですよー」
と言った。そのひとは東京都内在住なので、地元とは東京都区内あるいはJR東日本のことをさす。じつはオレもまったく同感なのでそのときはちょっと盛り上がったものだったが、いずれ「各鉄道会社接客サービスランキング」でもつくってみようかなと思ってみたものだ。
近ごろは出改札ともに自動化が著しいうえに、保安上不可欠と思われる駅ホーム上にさえ駅員の姿がみられないことも少なくなく、鉄道会社職員と直に接する機会が減った。一部では車内改札の省略すら進められていてますます無人化が進む状況だが、利用者のほうもあるいはそんな鉄道に慣れきってしまい、一見すると人間不在の鉄道があたりまえになってきてしまったのかもしれない。だが、結局は人間が介在しなければ動かせないのが鉄道である。運転士しかり、保線など設備の保守しかり、乗客への案内しかり……。このうち乗客に直接的に接する部門(出改札やホームなど)には営業としての役割もあるハズだ。単なるセールスということでなしに、自社としてのイメージにも大きく関わってくるから大切な仕事ではないか。
そうした重要な役割に対して、もっともっと真剣に取組んでいただきたいと思う。DCということであれこれ目立つ施策を打つのも結構だが、同時に礼を失しない接客とはなにかということを再度見直してもらいたいと思うのである。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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