“独断と偏見”をモットー(?)にしている拙ブログだが、今回はさらに何歩かレベルダウンした“偏見”をぶちまけてみようかと思う。ムリは禁物とはいえ、バカにはバカへの、愚か者へは愚か者への対応というものがある。ついでに記すと、こんな気分の悪い話題は酒でも飲まないと書く気にもならないので、ただいまやや酔っぱらっております(失礼!)。まぁ、一杯やりながらってのはわりとあるのだが……。
http://www.j-cast.com/2008/05/23020523.html
リンク記事はスコットランドで日本人サッカー選手をめぐって巻き起こっている民族および文化差別についてのリポートである。この『「ナカムラが俺の犬食った」 俊輔に衝撃「人種差別発言」蔓延』(JーCAST)をすでにご覧になった方も多いとは思うが、さらに調べてみると、ネット上ではかなりの話題となっているようである。
http://www.j-cast.com/2008/05/23020523.html
リンク記事はスコットランドで日本人サッカー選手をめぐって巻き起こっている民族および文化差別についてのリポートである。この『「ナカムラが俺の犬食った」 俊輔に衝撃「人種差別発言」蔓延』(JーCAST)をすでにご覧になった方も多いとは思うが、さらに調べてみると、ネット上ではかなりの話題となっているようである。
詳しくはリンク記事をお読みいただくとして、スコットランドで活躍中の中村俊輔選手が日本人であることから、「日本人=犬食」という無知なる偏見を持って「ナカムラが俺の犬を食った」とやらのスローガンなどを掲げるなりして話題になっているという。
まず第一印象で言わせてもらえば、この事実そのものにはたいして驚かなかった。もっといえば、所詮はこんなもんだといったところである。これは、サッカーに限らず、このテの差別や偏見の類がわりとスタンダードに近い形で欧米社会に蔓延していることを理解しているからであり、その差別感覚が骨の随までしみ込んでいるであろう事実をなんどとなく目撃しているからでもある(ここでそのひとつひとつを取り上げることはしないが)。それはリンク記事にも顕われている。
『2008年4月25日付の英テレグラフ紙でも、同じ試合でレンジャーズサポーターが掲げた「ナカムラが俺の犬を食った」という横断幕について、「誤った侮辱」として取り上げている。さらに英国のネット上の掲示板でも「人種差別だ」とする批判の声が08年5月になっても相次いでいる状況』(同記事)
英語原文を読んだわけではないので、細かなニュアンスについてはなんらかの誤解がある可能性もあるが、この恥ずべき事態を称して「誤った侮辱」とするあたりがまずその証拠のひとつとなるし、これが単なる「人種差別」と片づけられるかどうかという点にも疑問がある。すなわち、「誤り」などとはなんら関係のない嘲笑というのが一連の行動の正体であり、厳密には「侮辱」となるのかどうかと思うである。犬食の習慣があるならあるで、それは立派な文化である。ローストビーフやらジャガイモ料理を“おいしく”いただくのと同様に。それがその習慣を持たない相手に対して「食うだろう」と罵ったとして、「誤った侮辱」とは単純化できないハズだ。
受ける側にも問題はある。仮に「犬食文化を持つ」という点に「誤り」があったとして、それを「侮辱」と嘲笑された側が反応することにもある種の危険なニオイを感じるべきではないか。犬だろうが馬だろうがクジラだろが、牛だろうが豚だろうがアザラシだろうが猿だろうが、それらを食に取り入れているというのは立派な民族あるいは地域の文化というものだ。したがって、「日本人は犬を食わないぞ!」と反応することは、一面では(一般的習慣としての)事実を訴えているにせよ、その根底にスコットランドの連中と同様な文化差別がある可能性を見逃すわけにはいかない。言い換えれば、「誤った侮辱」というふうに捉えた時点で、彼ら(英国人)は「侮辱」を重ねていることになることに気がつくべきである。いわんや、これは「人種」などとは関係のない差別であり無礼である。冒頭に民族および文化差別と記したように、民族と完全に切り離すことができるとまでは言わないが、ようは自分たちの文化のみを“カルチャー”として正当化し、それとは相容れない異文化を異端として蔑まずにはいられないという哀れなバカどもの騒ぎというわけだ(さらに書けば、そうした“差別”を批判している一部の連中(欧米人)についても、本質的な部分においてどこまで信頼できるかどうかはアヤシイものだ)。
今回のタイトル。「アジア人・黒人・犬はお断り」は『STILL A PUNK ジョン・ライドン自伝』(ロッキング・オン)のなかの見出しであり原題である「アイルランド人、黒人、犬はお断り」(no dogs, no black, no irish)から拝借してアレンジしたものである。1956年生まれのロックミュージシャン。アイルランド移民の両親を持つイギリス人の自伝には、貧困と差別、(おもに)保守層から受けた暴力の体験がてんこ盛りだが、ここに書かれていることがそう古い時代のできごとではないところにも注目してほしい(さらにここには宗教的対立──カトリックとプロテスタント──という羞悪な実態も描かれている)。さらに時代を遡れば、この差別意識はもっと増幅するに違いない。そんなセンスを持って世界中に侵略を繰り広げてきた帝国の成れの果て。その没落ぶりはかなり重症なのかもしれない。
*補足:
ついでに言及すれば、欧米の一部で沸き起こっている中国批判の根底に、これと同種の差別意識が横たわっているという見方もできよう。たしかに、中華人民共和国とEU諸国やアメリカ合州国などとを比べれば、その民主化の度合いにはあまりにも大きな隔たりがある。あまりにも乏しい中国の情報からは、あの国のあるクビをかしげたくなるような後進性もみられる。しかし、だとしてもそうした批判の声のていどの低さを感じざるをえない部分もあるのである。そういや、四川での震災に対するアメリカ合州国政府からの資金援助もなかなかのものであった。
もうひとつ。これはまさに犬食文化を持つ韓国を歩いて感じでいることなのだが、肉づきのよすぎる……ようは肥満したひとをほとんど見かけない。民族的な性質の違いもあるのかもしればいが、たとえばアメリカ合州国の都会と比べてみてどうか? 日本と比べてどうか? 韓国ではたくさん食べることが美徳でもあるという。旅行したひとならわかるだろう。食堂で食事を頼めば、主食以外にもあれこれ料理が並び、まさにテーブルに華が咲く。一般家庭でのふだんの食事がどうなっているのかという疑問はあるにせよ、肥満したひとが少ないというのはそうした文化を持つ国を歩いての印象である。さらに気づくのは、日本や本場アメリカと比べて米国式のファーストフード店が少ないことだ。大衆のちょっとしたつまみ食いの類として屋台が親しまれているけれど、そうした韓式ファーストフードと比べると、米国式のはべらぼうに値段が高い。だから子どもや学生のおやつや食事には適さない。まぁ、両国にける“肥満度”との関連はわからないけれども。
まず第一印象で言わせてもらえば、この事実そのものにはたいして驚かなかった。もっといえば、所詮はこんなもんだといったところである。これは、サッカーに限らず、このテの差別や偏見の類がわりとスタンダードに近い形で欧米社会に蔓延していることを理解しているからであり、その差別感覚が骨の随までしみ込んでいるであろう事実をなんどとなく目撃しているからでもある(ここでそのひとつひとつを取り上げることはしないが)。それはリンク記事にも顕われている。
『2008年4月25日付の英テレグラフ紙でも、同じ試合でレンジャーズサポーターが掲げた「ナカムラが俺の犬を食った」という横断幕について、「誤った侮辱」として取り上げている。さらに英国のネット上の掲示板でも「人種差別だ」とする批判の声が08年5月になっても相次いでいる状況』(同記事)
英語原文を読んだわけではないので、細かなニュアンスについてはなんらかの誤解がある可能性もあるが、この恥ずべき事態を称して「誤った侮辱」とするあたりがまずその証拠のひとつとなるし、これが単なる「人種差別」と片づけられるかどうかという点にも疑問がある。すなわち、「誤り」などとはなんら関係のない嘲笑というのが一連の行動の正体であり、厳密には「侮辱」となるのかどうかと思うである。犬食の習慣があるならあるで、それは立派な文化である。ローストビーフやらジャガイモ料理を“おいしく”いただくのと同様に。それがその習慣を持たない相手に対して「食うだろう」と罵ったとして、「誤った侮辱」とは単純化できないハズだ。
受ける側にも問題はある。仮に「犬食文化を持つ」という点に「誤り」があったとして、それを「侮辱」と嘲笑された側が反応することにもある種の危険なニオイを感じるべきではないか。犬だろうが馬だろうがクジラだろが、牛だろうが豚だろうがアザラシだろうが猿だろうが、それらを食に取り入れているというのは立派な民族あるいは地域の文化というものだ。したがって、「日本人は犬を食わないぞ!」と反応することは、一面では(一般的習慣としての)事実を訴えているにせよ、その根底にスコットランドの連中と同様な文化差別がある可能性を見逃すわけにはいかない。言い換えれば、「誤った侮辱」というふうに捉えた時点で、彼ら(英国人)は「侮辱」を重ねていることになることに気がつくべきである。いわんや、これは「人種」などとは関係のない差別であり無礼である。冒頭に民族および文化差別と記したように、民族と完全に切り離すことができるとまでは言わないが、ようは自分たちの文化のみを“カルチャー”として正当化し、それとは相容れない異文化を異端として蔑まずにはいられないという哀れなバカどもの騒ぎというわけだ(さらに書けば、そうした“差別”を批判している一部の連中(欧米人)についても、本質的な部分においてどこまで信頼できるかどうかはアヤシイものだ)。
今回のタイトル。「アジア人・黒人・犬はお断り」は『STILL A PUNK ジョン・ライドン自伝』(ロッキング・オン)のなかの見出しであり原題である「アイルランド人、黒人、犬はお断り」(no dogs, no black, no irish)から拝借してアレンジしたものである。1956年生まれのロックミュージシャン。アイルランド移民の両親を持つイギリス人の自伝には、貧困と差別、(おもに)保守層から受けた暴力の体験がてんこ盛りだが、ここに書かれていることがそう古い時代のできごとではないところにも注目してほしい(さらにここには宗教的対立──カトリックとプロテスタント──という羞悪な実態も描かれている)。さらに時代を遡れば、この差別意識はもっと増幅するに違いない。そんなセンスを持って世界中に侵略を繰り広げてきた帝国の成れの果て。その没落ぶりはかなり重症なのかもしれない。
*補足:
ついでに言及すれば、欧米の一部で沸き起こっている中国批判の根底に、これと同種の差別意識が横たわっているという見方もできよう。たしかに、中華人民共和国とEU諸国やアメリカ合州国などとを比べれば、その民主化の度合いにはあまりにも大きな隔たりがある。あまりにも乏しい中国の情報からは、あの国のあるクビをかしげたくなるような後進性もみられる。しかし、だとしてもそうした批判の声のていどの低さを感じざるをえない部分もあるのである。そういや、四川での震災に対するアメリカ合州国政府からの資金援助もなかなかのものであった。
もうひとつ。これはまさに犬食文化を持つ韓国を歩いて感じでいることなのだが、肉づきのよすぎる……ようは肥満したひとをほとんど見かけない。民族的な性質の違いもあるのかもしればいが、たとえばアメリカ合州国の都会と比べてみてどうか? 日本と比べてどうか? 韓国ではたくさん食べることが美徳でもあるという。旅行したひとならわかるだろう。食堂で食事を頼めば、主食以外にもあれこれ料理が並び、まさにテーブルに華が咲く。一般家庭でのふだんの食事がどうなっているのかという疑問はあるにせよ、肥満したひとが少ないというのはそうした文化を持つ国を歩いての印象である。さらに気づくのは、日本や本場アメリカと比べて米国式のファーストフード店が少ないことだ。大衆のちょっとしたつまみ食いの類として屋台が親しまれているけれど、そうした韓式ファーストフードと比べると、米国式のはべらぼうに値段が高い。だから子どもや学生のおやつや食事には適さない。まぁ、両国にける“肥満度”との関連はわからないけれども。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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