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猫池罵詈雑言雑記帳
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 出生後の国籍取得に関する法律「国籍法」が改正の方向にあるという。これは4日に最高裁で「違憲判決」が下されたことを受けてのことらしく、テレビニュースをみていたら、鳩山邦夫法相が「違憲」云々について語っていた。この法律そのものについては正直なところほとんど知識がないし、ここでムリをして取り上げることはしない。「ありゃ?」と思ったのはこの国の矛盾ぶりである。
 既存の法律が違憲と判断され、それを改めることに異論を挟む余地はないと思うのだが、この事実はある種の皮肉としてみることも可能であろう。拙ブログで取り上げたイラクにおける航空自衛隊の活動に対する違憲判決との比較だ(「判決が画期的であるワケ」)。
 実際問題として、「特措法」のほうはいまのところ高裁の判断であるから、今回の「国籍法」と同一にすることはできないかもしれない。しかし、現段階で「違憲」とされたことについては同じであり、それを受けて法相が「違憲」云々に言及するのであれば、彼らをしてそれ相応の「リスク」を承知した発言であると捉えるべきであろう。少なくとも、最高裁で違憲とされれば法を見直す(それも今回のタイミングをみれば“ただち”に)と公に認めたのである。しかし、ならばたとえ高裁レベルだとはいえ、現行の「特措法」について廃止の道を示す必要があるハズだ。そこにほっかむりをしてことさら「国籍法」を取り沙汰する理由はなにか? いかにもあの小賢しい政権が利用しそうな判例であり遣り口のように思えるのだが。

 ・・・話は変わって、地球温暖化問題など環境問題についてほんの少し。  

 そもそも地球温暖化問題とはなんだろう。ごく一般的に理解されているのは、地球全体の平均気温が上昇傾向にあり、それもここ数十年で急激な変化をみせていることであり、その最大の要因として人類が排出する二酸化炭素の増大があるということであろう。さしあたり、そのことそのものに異論を唱えるつもりはないし、事実にまだまだ不明な部分があるとしても、なんらかの対策をとることは必要だと考える。しかしその扱いについてはいささかの疑問はある。
 たとえば、このところ“ブーム”のように取り上げられる傾向はどうか。「エコ」だの「環境」だのと看板をつけたテレビ番組の類は、はたしてなにを訴えているのか。いくつかみたなかにはたしかに真相に迫りうるような内容のものがなかったとはいわないけれど、その大半は「環境」を謳うことよって視聴率を稼ぎ出したいだけの薄っぺらいシロモノにしか思えなかった。まさか環境保護そのものについて批判を浴びることはない。イメージだっていい。なんでもいいからエコにこじつけろ。乱暴にいえばそんなニオイである。

 そんななかにみつけた「ゲンダイネット」の記事「「お説」ごもっともだけどこりゃ“エコばか”だ」はちょっと面白いと思った。類似のブームとしては、一部メディアの動向を「JーCAST」も「出版不況もどこ吹く風? 環境ビジネス誌のモテぶり」と題して伝えているが、摩訶不思議とも思える熱狂ぶりである。
 たとえばゲンダイネットの記事で紹介されているゴミの分別。ゴミの再利用をするという仕組みはたしかに重要で、そのことそのものを批判することはできないが、こうした施策がおもに消費者側の責任にされている傾向に注意を払う必要があると常々考えてきた。プラスチック製品は手軽さもあって利用することは少なくないが、それを資源ゴミとして分別することはいいとしても、最大の受益者であるメーカーおよび販売者側の責任がどうなっているのかという点について疑問を感じないでもない。
 同記事では電気製品などについても触れているけれど、そのほかにもビルなどの建造物などこの世には未来のゴミが溢れている。そして、それらの多くの処理についてはひたすら先送りされているのである。そして、たとえ疑問を感じていながらもつくられたものを使わざるをえない仕組みになっている(もちろん必要なものも多いが)。エコブームというのは、そういうなかで起きている反発なのかもしれない。しかし、成長、成長で突進していた時代ならともかく、少なくとも環境問題云々がこれだけ騒がれる時代である。出口よりもむしろ入口側できちんとした処理法が保障されない限りは利用させないぐらいの策が必要ということはないのだろうかと思う。最終的な利用側である消費者が一定の責任を負うことに異論は挟みづらいが、「環境保護」や「エコ」がある種の免罪符的なシロモノに留まらせないために、もっと広い視野で捉えてゆく必要があるのではないだろうか。

 そして地球温暖化問題。これを国際的に広く提起したアル=ゴア氏の『不都合な真実』はちょっとした話題作であり、共感できる部分の多い作品であった。データのひとつひとつについて、その読み方の適否を解くことはシロウトにはできないにせよ、納得せざるをえない点はあまりにも多い。仮に「地球温暖化は事実だと思うか?」と訊かれれば、「そう思う」と答えるだろうし、挙げられているデータ云々以前の実感として、気温の上昇傾向を感じとっているひとも少なくないハズだ。しかし、その主要な原因として二酸化炭素の増加が挙げられているけれど、はたしてそこの部分をことさらクローズアップすることがこの問題の根本的解決にどれだけつながるのだろうかという気もする。むろん、原因はそれだけではないハズなのだが、「二酸化炭素(むしろCO2と記すほうがポピュラーか?)の増加イコール地球温暖化」と単純に結びつけているひとも多いハズで、その傾向を増長しているメディアの姿勢に若干の疑問を感じるのである。
 誤解してほしくはないが、二酸化炭素排出量の削減には賛成である。これが仮に温暖化と大きな関連がなかったとしてもそうすべきだと考えている。だが、そうしたスローガンを掲げる一方で、世界はどれだけ真剣に取組んでいるのだろうか。『不都合な真実』でも指摘されているようにアメリカ合州国の消極姿勢は論外というものだが、たとえば近日に予定されているサミットのホスト役となっているわが国政府はどうかと考えると、これもまた疑問符なしでは接することができないのである。「二酸化炭素を削減しましょう」はいい。しかし、その最大の原因といってもいい産業構造について、政府は実効ある施策を打っているといえるのだろうか。なんだかんだと道路づくりの財源を手放そうとしないけれど、道路建設よりもいろいろな意味で有効な運輸・交通手段を講じてもいいハズだ(たとえば高速道路建設よりも鉄道建設のほうが、その後の保守費用も含めてコストが割安という説もある。これはまた別の機会にて)。
 個人レベルで小さな節約の類を積み重ねることはもちろん大切だが、そうしたお題目に隠されているなにかについて目を光らせる必要がある。メディア上でも二酸化炭素と温暖化との関連を取り上げたネタを目にしない日はないが、こうも延々と繰り返されると、善意や悪意はとにかくとして、二酸化炭素排出量問題というのはある種の目くらましにされているような気さえしてくるのである。

 せっかくの環境問題への関心の高まりを単なるブームで終わらせないために、あれこれ批判の目を向けてみるのもムダではないのではないだろうか。



*おまけ:
 本稿に手をつける前に出くわした本日最悪のバカネタがコレ。
http://www.j-cast.com/2008/06/05021329.html

 まぁ、島耕作シリーズそのものはマンガとしては面白い作品だと思うし、こうしたバーチャル対談の類も話としてはいいのではないかと思う。だが、(個人的にはとっくに見捨てたメディアとはいえ)「週刊朝日」がねぇ……という感じはする。原作者の弘兼憲史は明白な右翼といって差し支えないと思うが、その対談相手が麻生太郎氏なんですから(笑)。一昨年来その購読を辞めた朝日新聞だが、ときおり目にする記事からするとその退廃はますます進んでいるようである。そしてこのていたらく。失望した読者も少なくないのではないか?
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