今年の夏はいかにも夏らしい。暑さを乗り切るのもまた夏。子どものころは、自宅をはじめたいていはエアコンひとつなかったけれど、毎日をどうやってすごしていたのだろう。それは快適で楽しい日々だったように思うのだが。
閑話休題。過日、久々に足立倫行さんと邂逅。講演を含めあれこれお話をうかがう機会を持った。
閑話休題。過日、久々に足立倫行さんと邂逅。講演を含めあれこれお話をうかがう機会を持った。
NHKで放映中のドラマ「ゲゲゲの女房」が大河ドラマをしのぐ人気だという。足立さんは、以前に水木しげる氏の密着取材を敢行、ルポルタージュ『妖怪と歩く─ドキュメント・水木しげる』(新潮文庫)を結実させたが、講演していただいたのは取材にまつわるエピソードなどについてである。いわく「ゲゲゲの女房の夫」。
水木氏といえばズバリ、妖怪。したがって、妖怪をめぐる話題にもこと欠かなかったが、今日という日にあたって紹介したいのは水木しげるが暮らした戦場についてである。
「戦地とはいっても、ごくふつうの日常なんです。それがどこからともなく飛んできた弾丸によって、一瞬にして生命を奪われる」
水木氏が送られたのはニューギニア、いわゆる“南方戦線”である。なんでもないことで上官から暴行を受けるなど理不尽な日々ではあったが、それでもメシを喰らい、友との語らいといった日常がある。戦場だからといって、絶えまなく銃を構え、砲弾をぶっぱなすなどというわけではもちろんない。あるいはまた、銃剣を手に“敵”と相対し、白兵戦に明け暮れてきたハズもない。たしかにそういう形での戦(いくさ)や死もあったに違いないが、日常的な死はそうではなかったというのだ。すなわち、どこから飛んでくる(きた)のかわからないような弾丸を突然に受け、死ぬ。警戒の任にあたっていて、あるいは友との語らいのさなかで、不意にやってくる死。それが戦場だ。
そうした世界は、たとえば水木氏の『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)で克明に描かれている。水木氏は、妖怪で一斉を風靡するとともに、類いまれなる戦争の描き手なのである。
作品では、部隊が隊長命令によって“玉砕”への道を突き進む。展開の一部に脚色があるというが、これは水木氏が体験した戦場であることはいうまでもない。現地上層部のなかですら異論があった“玉砕”作戦に動員され、辛くも生き残ってみれば「なんで生きて帰ってきた!? つぎの作戦ではお前が真っ先に死ね!!」と命令された水木。なぜか? なぜ生還が罪悪のごとく罵倒に結びつけられるのか? なぜ自分が死ななければならないのか? 敵に殺されるのではなく、味方から「死ね」と命令される世界。これが水木氏が体験した戦場の事実である。
しかし、誤解してはならないのは、ほかならぬ日本の国土そのものもまた戦場だったということである。兵隊が送られ、銃弾が行き交う前線ばかりが戦場なのではない。
砲弾による突然死はどうか。東京では数十万の民間人が焼き殺されたが、そうした惨状は日本の各地であり、だれもが常にさらされる可能性のあった死だったハズだ。広島と長崎を破壊し大虐殺を敢行した原爆投下は、市民に対する警告の類が一切なく、まったく突然に死と破壊の限りを尽くした。あるいはまた、召集令状(赤紙)1枚で前線への切符を手渡される無辜の市民。沖縄では銃撃戦すらあり、そんななか、自殺を強要された市民がいた……。だれにも予測されえた死の数々。
いまでも続いている。学校を含む住宅密集地の上空わずか二百数十メートルの低空飛行をすて平気の平さな外国軍隊が駐留する日本。住宅地に隣接する基地を占拠する外国軍隊がいる日本。ひっきりなしに周囲を威圧する外国軍軍用機の轟音。そして、そうした軍隊が派遣されているアフガニスタンやイラクではどうか。市民に爆弾が投下され、派遣された一般の兵隊にしても、いつなんどき銃弾に倒されるかわからない世界である。軍事超大国イスラエルからの弾圧と虐殺とを続けられているパレスチナもまた、市民がまったく突然に砲弾や銃弾を受け殺害されている事実がたびたび報じられている。そこにあるのは、まさに突然の死そのものである。
今日8月15日、お隣・韓国ではこの日を「光復節」と呼び、日本による支配からの解放を振り返る。しかし、「光を復する」という意味では、じつはわが国の一般市民にとってもそうであったと考える。明治以降の軍事政権からの解放。ひとつには徴兵がなくなり、それまでの帝国主義が否定された。あるいは、少なくとも表向きは思想差別も否定された。モノの言えない社会からの脱却は、まさにこの日を境にして持ち得たともいえるのである。
そんな記念日。平和と独立とについて、戦争と死とはなんなのかについて、あらためて考えてみるのもいいのではないだろうか。
*お知らせ:
当ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
目下、本業が“非常事態発令中”のため、当ブログの更新がしばらく間遠になる可能性もありますが、まだまだ続ける所存ですので、おつきあいのほど、よろしくお願い申し上げます。
水木氏といえばズバリ、妖怪。したがって、妖怪をめぐる話題にもこと欠かなかったが、今日という日にあたって紹介したいのは水木しげるが暮らした戦場についてである。
「戦地とはいっても、ごくふつうの日常なんです。それがどこからともなく飛んできた弾丸によって、一瞬にして生命を奪われる」
水木氏が送られたのはニューギニア、いわゆる“南方戦線”である。なんでもないことで上官から暴行を受けるなど理不尽な日々ではあったが、それでもメシを喰らい、友との語らいといった日常がある。戦場だからといって、絶えまなく銃を構え、砲弾をぶっぱなすなどというわけではもちろんない。あるいはまた、銃剣を手に“敵”と相対し、白兵戦に明け暮れてきたハズもない。たしかにそういう形での戦(いくさ)や死もあったに違いないが、日常的な死はそうではなかったというのだ。すなわち、どこから飛んでくる(きた)のかわからないような弾丸を突然に受け、死ぬ。警戒の任にあたっていて、あるいは友との語らいのさなかで、不意にやってくる死。それが戦場だ。
そうした世界は、たとえば水木氏の『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)で克明に描かれている。水木氏は、妖怪で一斉を風靡するとともに、類いまれなる戦争の描き手なのである。
作品では、部隊が隊長命令によって“玉砕”への道を突き進む。展開の一部に脚色があるというが、これは水木氏が体験した戦場であることはいうまでもない。現地上層部のなかですら異論があった“玉砕”作戦に動員され、辛くも生き残ってみれば「なんで生きて帰ってきた!? つぎの作戦ではお前が真っ先に死ね!!」と命令された水木。なぜか? なぜ生還が罪悪のごとく罵倒に結びつけられるのか? なぜ自分が死ななければならないのか? 敵に殺されるのではなく、味方から「死ね」と命令される世界。これが水木氏が体験した戦場の事実である。
しかし、誤解してはならないのは、ほかならぬ日本の国土そのものもまた戦場だったということである。兵隊が送られ、銃弾が行き交う前線ばかりが戦場なのではない。
砲弾による突然死はどうか。東京では数十万の民間人が焼き殺されたが、そうした惨状は日本の各地であり、だれもが常にさらされる可能性のあった死だったハズだ。広島と長崎を破壊し大虐殺を敢行した原爆投下は、市民に対する警告の類が一切なく、まったく突然に死と破壊の限りを尽くした。あるいはまた、召集令状(赤紙)1枚で前線への切符を手渡される無辜の市民。沖縄では銃撃戦すらあり、そんななか、自殺を強要された市民がいた……。だれにも予測されえた死の数々。
いまでも続いている。学校を含む住宅密集地の上空わずか二百数十メートルの低空飛行をすて平気の平さな外国軍隊が駐留する日本。住宅地に隣接する基地を占拠する外国軍隊がいる日本。ひっきりなしに周囲を威圧する外国軍軍用機の轟音。そして、そうした軍隊が派遣されているアフガニスタンやイラクではどうか。市民に爆弾が投下され、派遣された一般の兵隊にしても、いつなんどき銃弾に倒されるかわからない世界である。軍事超大国イスラエルからの弾圧と虐殺とを続けられているパレスチナもまた、市民がまったく突然に砲弾や銃弾を受け殺害されている事実がたびたび報じられている。そこにあるのは、まさに突然の死そのものである。
今日8月15日、お隣・韓国ではこの日を「光復節」と呼び、日本による支配からの解放を振り返る。しかし、「光を復する」という意味では、じつはわが国の一般市民にとってもそうであったと考える。明治以降の軍事政権からの解放。ひとつには徴兵がなくなり、それまでの帝国主義が否定された。あるいは、少なくとも表向きは思想差別も否定された。モノの言えない社会からの脱却は、まさにこの日を境にして持ち得たともいえるのである。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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