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猫池罵詈雑言雑記帳
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 10日まで韓国取材にでかけてきた。
 安宿の類でも、ときおりNHKが受信できることもあり、日本国内のニュースなどがみられてありがたいものだ。しかし、先週はたまさか日本人物理学者のノーベル賞受賞の報と重なってしまい、延々とそればっかりなのにヘキエキとさせられた。ご本人や関係者らにとって名誉なことなのだろうとは思うけれど、そこまで騒ぎ立てるようなことなのだろうかという気も、毎度のことながらしないでもない。ましてや街角インタビューにあったように「暗いニュースばかりのなかでイイ話題」だとか「同じ日本人として誇りに思う」だとか、そういうセンスに至ってはまったくもって理解の範疇を越えている(もちろん悪いできごとではないとは思うけど)。
 踵を接して、中国人のノーベル平和賞受賞があり、たまさかその夜もNHKが受信できたのでみていたが、これまた延々と流されていた。こちらは中国内の民主化問題などとからめたものが目立ったが、妙だったのは現代中国が専門だという大学教授がコメントしたのはいいとして、語ら(流さ)れていたのがもっぱら賞を出したスゥエーデン側の思惑とやらを推測した内容だったこと。なぜ専門分野が語られなかったのだろうか? これはまぁ、編集側の問題かもしれないが。
 しかし、中華人民共和国の民主化問題についてはさておき、あの国の政府がスゥエーデン政府に対しイチャモンをつけていたのは、ノーベル賞の本質的一面が理解されているようで興味深かった。ただし、権威だの精神だのというのはいささかお門違いで、大量虐殺指導者やその傀儡が受賞するような平和賞のどこにそんなモノがあるだろうか。あの賞の本質は、たとえばブッシュあたりが「イラク民衆解放の礎を築いた」といった類のタテマエで頂戴するというのがむしろ相応しいのではないだろうか。そんなことをあらためて考えさせられたものだ。

 閑話休題。
 ちょうど出発前には流行りの世論調査とやらがあって菅内閣の支持率が軒並み急落していた。こうした世論調査そのものについて、ジャーナリストや評論家の一部からはさまざまな疑問が呈せられるようになってきたが、こんなあっちへフラフラこっちへフラフラの流行モノに、はたしてどこまで信頼性が託されるのかといまさならながらに思う。すべてがそうとまでは言わないまでも、「なんとなく」の回答(恣意的な選択肢の問題もあるが)の集まりとしか思えない一面もあり、あえて意味を探すとすれば、日々情報をタレ流しているマスメディア自身が、その宣伝効果を数値化してみるといったていどのシロモノなのではないか。したがって、そんなものに右往左往させられる側のセンスもまた、問題だということになろう。
 とはいえ、その支持率の推移からは、この国の大衆のセンスを読み取ることができるかもしれない。たとえば「毎日新聞」が配信した推移グラフをみると、ここ数代だけみても発足時には半数弱以上の支持率を示していたことがわかる。しかし、まずもってここがわからない。菅内閣続行のさいにも触れたが、発足時というのはすなわちまだなにも実行していないということである。もちろん、なんからの政策を“口約”しているので、それに対する期待という意味があるのだろうが、答える側がどこまでその政策を理解しているのだろうかという疑問がどうしてもついて回る。その疑問の根拠のひとつが、右肩下がりの支持率である。

 各内閣ごとにみると、コイズミスネオの85%を筆頭に、鳩山(77)、安倍(67)、菅(66)、福田(57)、麻生(45)と続く。それが4カ月後にはスネオの81%は例外として、鳩山(509、菅(49)、安倍(40)、福田(33)、麻生(19)となっており、ていどの違いこそあれ支持率を下げているのである。つまり、単なるイメージ──みてくれが信頼できそうだとか、ファッションセンスがいいとか、みるからにバカそうだとか──でもって「支持」をしたはいいけれど、次第に化けの皮がはがれてきてやっとこさ「おかしいかも?」と気がつくという見方もできる(とはいえ、その化けの皮もまたメディアによって演出されたイメージとして“消費者”に届けられているともいえる)。少なくとも、最初の高い支持率はなんだったのかということにはなろう。
 さらに、それぞれけっして低くはない支持率からスタートした彼らは当時からしてどのようなパブリックイメージを植えつけられていたか。このなかでもっとも低いコンクリート屋さんはどうだったか? その直前に迷セリフで人気を呼んだ違うヒトはどうだったか? 逆に、もっとも高い数字を弾き、しかも持続していたスネオはどうだったか。そんなところに支持率という数字の根拠をみるというのはあながち間違いではないと思うのだが。

 そうした印象支持も、実害を伴わないのであれば疑問をぶつけるほどではないだろう。タレントのだれそれが人気があるというのとたいして変わらないからだ。しかし実際はどうか。毎日調査の数字では、発足から4カ月後まで85〜87〜84〜81という高い数字をスネオが維持していたことがわかるが、ではさて、彼はわれわれ一般庶民に対してどういう政策を持ち、それを実行してきたのかということを考えると、これだけの「支持」がなんとも恐ろしい実態として迫ってくる。
 アメリカ合州国に従属していくつもの経済政策を打ってきて、はたせるかな利益を得たのは一部の大企業だけであった。それも莫大な内部留保に化け、社会全体への循環を滞らせている。富はあるにも拘わらず、平等不平等以前に分配すら満足にされていないのである(従業員への報酬よりも株主への報酬のほうが優遇されはじめたのもそのころからではないか?)。

 あるいはまた、地方自治体の経済的破綻や危機的状況が問題化してだいぶ経つが、そうした事態を招いた重要な要因にスネオ時代の“構造改革”があったことは、マトモな識者ならば容易に理解できることである。リーマンがどうのとニュースなどの枕詞にされ続けているけれど、それ以前の問題としてスネオ時代の破壊行為があったことを再認識すべきだ(たとえるなら、重病でフラフラになったところを棍棒かなにかで殴られたようなものであろう)。たとえば、地方自治体の借入金の多くは、スネオの飼い主であったアメリカ合州国からの要求を受けた公共投資が招いてきたシロモノ。例外はあるにせよ、自治体が率先してムダ金を注ぎ込んできたばかりではない。その源泉は中曽根時代に遡るとはいえ、対米従属がまき散らした害毒のひとつが、昨今の地方経済の疲弊を生み出したのである。そんな内閣に対し、あれだけの高支持率を与え続けたジャパニーズ。菅直人氏は、それをさらに促進させる政策を言明しているにも拘わらず発足時に高い支持率を得ていたのも同じで、そういう実態をみる限り、いったいぜんたい、この国の大衆は自分たちの暮らしをどうしたいと思い描いているのかがさっぱりわからないのである。

 本当に、いったいなにのどこをみて、支持だの不支持だのというのか。メディアによるイメージづけも結構だけれど、そんなものに幻惑されず、もっと主体性をもってものごとに向き合えないのかという気がしてくる。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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