イスラエルによるガザ攻撃はますます激化しているという。報道によれば、無辜の住民およそ110人を1軒の家屋に集めたうえで砲撃するなど大規模虐殺に及んでいるともいう。しかも“白旗”を挙げた女性や子どもたちに対してである。あるいはまた、1000人を超す避難民が収容されていた国連運営の女学校を空爆、46人の罪なきひとが亡くなった。一連の攻撃には核兵器(劣化ウラン弾)やクラスター爆弾も使われているといわれるが、その標的の多くが一般的な居住地域だ。イスラエルによって殺害されたパレスチナ人の少なくとも3分の1は子どもだともいわれ、日増しにその残虐ぶりが明らかにされつつある。
イスラエルが暴虐を演じているガザ。ここはイスラエル国建国にあたって追放されたパレスチナ人らの広域収容地域ではないか。もともとパレスチナに根づき、暮らしてきたところに対して、2000年もむかしの歴史を一方的に蒸し返すように侵略してきたユダヤ人。追放され差別され虐殺されてきた罪のないひとびとに対して“イスラム過激派”のレッテルを被せて徹底した虐殺・破壊攻撃を加えているのがイスラエルという国家なのである。
そんな一方的攻撃のさなか、驚くべきはイスラエル国民の反応である。10日に時事通信社が配信した記事では、9日づけのイスラエル紙「マーリブ」が伝えたところとして、「ハマスに対する軍事作戦について、ユダヤ人市民の91・4%が賛成。反対はわずか3・8%だった」ことを報じている。
狂っている。
こんな言葉は使うまいと考えてきたが、もはやハッキリと言う必要もあろう。
イスラエル国よ、おまえらはナチスと同類だ。人類の恥だ。
いままさに進められている虐殺、いままで進められてきた隔離政策、このどこにホロコーストとの本質的違いがあるというのか? 世界のあまたで暮らす心あるユダヤ人たちよ、どうかこの現代最悪級の犯罪国家に対し、たしなめてほしい。脅威は自らのなかにあるのだということを知らせてあげてほしい。
さて、テレビニュースのひとつでもみればこうして怒りが湧かざるをえないニュースが連日流されているが、13日の夕方、ちょっと不思議な表現を耳にしたのでひとこと触れておきたい。
「クローズアップ現代」(NHK総合)がイスラエル問題について触れ、生々しい映像とともに経過や現状を伝えた。そのほとんど冒頭といっていいところで、キャスターの国谷裕子氏が語ったのだ。
「(イスラエルによる一連の軍事行動が)“過剰な攻撃”として国際社会の批判を浴びている」
メモの類をとったわけではないので大雑把な抄録だが、直感的にこう思わざるをえなかった。
過剰な攻撃とはなにか?
逆にいえば、過剰でない軍事的攻撃などありうるのかということである。おそらく原稿に基づいてしゃべっただけだろうけれども、この場合なにが過剰でどうすれば過剰じゃないのか、国谷さんにはぜひともご教示いただきたいものだ(そもそもが、「“過剰な攻撃”として国際社会の批判を浴びている」という表現がまるまる正しいかどうかについても疑問はある。なにやら紋切り型のニオイがする)。
たとえば、これが仮に侵略された側の抵抗であれば理解できる。現に武器を持って自分たちを殺しに来る相手に対しては、それ相応の軍事的防御だって必要だからだ。しかしイスラエルがやっていることは一方的侵略の延長線上に加えられたさらなる虐殺にほかならず、そこにはいかなる大義もない。いや、仮に大義のようなものがあったとしても、国際的いざこざを武力によって解決しようとするのはいいことなのかいけないことなのか。しかも丸腰といっていい市民に対して爆弾を雨を降らすのが許されるのか許されないのか。たしかに武力的な衝突は大小に関わらず続いてきた。そしてここが肝心なのだが、それだって武力ではない外交という手段によって解決するというのが現代のマトモな国家のありかたというものである(しかし衝突の原因をつくったのは明らかにイスラエルの側である)。ということは、イスラエルがいかに抗弁しようとも、いままさに実行されているそのすべての軍事行動はすなわち過剰であり、それがたとえ拳銃1発ていどの攻撃であっても、すでに許されざる愚行なのだ。仮に「“過剰な攻撃”として国際社会の批判を浴びている」というのが正しいとしたら、国際社会が批判すべきはイスラエルによる軍事行動そのものについてであり、そのていどに左右されるべきではないのではないか。そのうえで、冒頭に触れたような現実に起きている虐殺行為のひとつひとつについても追求すべきではないかと思うのだが……。
そんな一方的攻撃のさなか、驚くべきはイスラエル国民の反応である。10日に時事通信社が配信した記事では、9日づけのイスラエル紙「マーリブ」が伝えたところとして、「ハマスに対する軍事作戦について、ユダヤ人市民の91・4%が賛成。反対はわずか3・8%だった」ことを報じている。
狂っている。
こんな言葉は使うまいと考えてきたが、もはやハッキリと言う必要もあろう。
イスラエル国よ、おまえらはナチスと同類だ。人類の恥だ。
いままさに進められている虐殺、いままで進められてきた隔離政策、このどこにホロコーストとの本質的違いがあるというのか? 世界のあまたで暮らす心あるユダヤ人たちよ、どうかこの現代最悪級の犯罪国家に対し、たしなめてほしい。脅威は自らのなかにあるのだということを知らせてあげてほしい。
さて、テレビニュースのひとつでもみればこうして怒りが湧かざるをえないニュースが連日流されているが、13日の夕方、ちょっと不思議な表現を耳にしたのでひとこと触れておきたい。
「クローズアップ現代」(NHK総合)がイスラエル問題について触れ、生々しい映像とともに経過や現状を伝えた。そのほとんど冒頭といっていいところで、キャスターの国谷裕子氏が語ったのだ。
「(イスラエルによる一連の軍事行動が)“過剰な攻撃”として国際社会の批判を浴びている」
メモの類をとったわけではないので大雑把な抄録だが、直感的にこう思わざるをえなかった。
過剰な攻撃とはなにか?
逆にいえば、過剰でない軍事的攻撃などありうるのかということである。おそらく原稿に基づいてしゃべっただけだろうけれども、この場合なにが過剰でどうすれば過剰じゃないのか、国谷さんにはぜひともご教示いただきたいものだ(そもそもが、「“過剰な攻撃”として国際社会の批判を浴びている」という表現がまるまる正しいかどうかについても疑問はある。なにやら紋切り型のニオイがする)。
たとえば、これが仮に侵略された側の抵抗であれば理解できる。現に武器を持って自分たちを殺しに来る相手に対しては、それ相応の軍事的防御だって必要だからだ。しかしイスラエルがやっていることは一方的侵略の延長線上に加えられたさらなる虐殺にほかならず、そこにはいかなる大義もない。いや、仮に大義のようなものがあったとしても、国際的いざこざを武力によって解決しようとするのはいいことなのかいけないことなのか。しかも丸腰といっていい市民に対して爆弾を雨を降らすのが許されるのか許されないのか。たしかに武力的な衝突は大小に関わらず続いてきた。そしてここが肝心なのだが、それだって武力ではない外交という手段によって解決するというのが現代のマトモな国家のありかたというものである(しかし衝突の原因をつくったのは明らかにイスラエルの側である)。ということは、イスラエルがいかに抗弁しようとも、いままさに実行されているそのすべての軍事行動はすなわち過剰であり、それがたとえ拳銃1発ていどの攻撃であっても、すでに許されざる愚行なのだ。仮に「“過剰な攻撃”として国際社会の批判を浴びている」というのが正しいとしたら、国際社会が批判すべきはイスラエルによる軍事行動そのものについてであり、そのていどに左右されるべきではないのではないか。そのうえで、冒頭に触れたような現実に起きている虐殺行為のひとつひとつについても追求すべきではないかと思うのだが……。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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