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猫池罵詈雑言雑記帳
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「われわれはそんなものには手を染めていない。下の連中が勝手にやっていることだ」
 こんなセリフに、ドラマなりルポルタージュなりのなかで遭遇したことはないだろうか。

 裏社会ともいわれる暴力団の世界には、合法・非合法を問わずさまざまな収入手段──シノギ──があるといわれるが、そんな彼らをしても、度を超した非合法ビジネスは取締との戦いであろう。たとえば麻薬。あるいは銃器。はたまた管理売春……。これらは、もちろん彼らのシノギに含まれる。末端の売人が得た売上げが組織に吸い上げられ、段階を追ってより強大な組織に上納されてゆく。上からの上納指令の類は相当に厳しいものといわれ、下部組織にとってはいかなる手段をもってしてもカネを工面しなければならず、一連の非合法ビジネスに手を染めざるをえない悪循環を生み出す。発覚すればお縄だ。しかし、直接に手を汚してきた彼ら収入をピンハネしている最上部の組織にとっては、いざ摘発の手が近づいてきても、「それはわれわれの関知せぬところ」という逃げ口上をもってしてその責任を放棄できることとなる。シノギをあげろとは言ったが、それを非合法で稼げとは言ってないというわけであろう。もちろん、稼ぎの実態を知らぬワケはないのだが、なかにはトカゲのシッポ切りのように破門にされたり、形のうえで破門にしつつシノギを要求する例もあるというのだから、下の人間にとってはたまらないものがありそうだ。
 あの世界にはあの世界のしきたりというものがあるにせよ、門外漢からすればなんか卑怯だなぁという気もするし、間違ってもマネをしたくないとすら思う。

 さて、共産党のCサンこと志位和夫委員長らとトヨタ自動車の古橋衛専務らが同党本部で会談、大量解雇問題などについての意見交換があったという。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-25/2008122501_01_0.html

 詳しくはリンク記事をお読みいただくとして、同党からの会談申し入れに対して、トヨタ側が党本部での会談を希望、はじめての話し合いがもたれたというちょっと意外なできごとがあったということなのである。同党は、トヨタに限らず企業が持つ問題点などについてかねてから追求してきており、やられる側にとってはいささかうるさい存在ではないかと考えてきたが、やっとこさ企業側としてもヒザを突き合わせて相手にせねばらならないと自覚するようになったということであろうか。小さいながらも(?)前進があったのだと解釈してみたい。
 トヨタ側も形としては誠意を持って会談に臨んだようである。共産側があくまで正論をぶつけてくるのでかなりの緊張を強いられたと想像するが、もっともその“誠意”というのは「内部留保については、内部留保を取り崩してまで(期間従業員の雇用を維持することはない)というのが、経営判断だ。そこは価値判断の違いだと思う」など、会社側の立場を率直に述べていたという点においてではあるが。
 しかし、一連の問答のなかで、彼らはやはり“暴力団顔負け”のシロモノであることを問わず語りに暴露してしまった点を、古橋氏らは理解できているのだろうか。

「トヨタ本体では中途解約は行っていない。グループ企業、仕入れ先にも同じ姿勢でやってほしいといっている」と説明

「ヤクザまがい」というたとえがあるけれど、トヨタ自動車は、ここでまさに広域暴力団と同じ論法で自らの責任逃れを表明したのだ。
 やっているのは下のこと。われわれは利益をあげろとはいったが、従業員のクビを切れとは指示していない。ゆえに責任はないのだ・・・そんなホンネがモロに出ているとはいえないだろうか。ふさけるにもほどがある。
 リンク記事にもあるとおり、トヨタといえば「日本を代表するリーディング・カンパニー」である。これまでもさまざまな問題を内包しながらも、わが国を代表する国際企業のひとつであることにかわりはない。しかし、それを動かずひとびとのセンスやモラルというのは、かくのごとしヤクザと大差のないお粗末さだったということのようだ。

 ついでに言えば、モラル云々以前に非合法な手段に訴えて保身している可能性もある。以下におなじみ・白川勝彦氏のコラムをリンクしておく。
「非正規労働とは何ぞや!?」
「私が学んだ労働法は、労働者の権利を重視した。それが当時のわが国も労働法の基本であった。企業はひとたび労働契約を締結した以上、普通の契約と同じように企業の都合で労働契約を解除したり、契約内容を変更することはできないものとされた。」(リンク記事)



*おまけ:
 昨日はクリスマスだった。まぁ、子どものためのお楽しみや異性とのデートの類を除けば、この日ぐらいは繁華街の灯がきらびやかになるのも悪くないかなというていどにしかもはや思わないが、キリスト教徒にとっては重要な日であろう(個人的には特定の宗派には属していないけれど仏教徒である)。取材で訪問している韓国にはプロテスタントを中心にキリスト教徒が少なくないが、ソウルをはじめとする繁華街でそれらしい電飾が目立つわけでもなく、日本に比べればだいぶ淡々としていたように思う(今回は23日までソウル市内の数カ所の繁華街と大田、光州、さらにとある田舎町を歩いたが、概ねふだんと変わらぬ風情であった)。商業的イベントではなく、もっと信仰に基づいた本質的祝いごとの日ということなのなかとも思ったが、もとより真相はわからない。
 昨夜、テレビニュースをつけていたら、クリスマスのミサを伝える短いリポートがあった。そのなかで、「世界中の子どもが幸せになれることを祈り、すべての子どもが幸せに暮らせるように世界を変えてゆかなければ」(メモしたわけではないので、おおかまな内容です)というメッセージが伝えられていたのに違和感を覚えた。宗教問題についてはあまり触れたくはないけれど、昨今、いやはるかむかしからの世界をみて、そこにはなにが起こってきたか。“宗教戦争”などと(おもにキリスト教側の社会によって)位置づけられたアフガニスタン侵略戦争やイラクに対する一方的破壊戦争はどうか。あれは他民族の他宗教者に対するキリスト教側の過干渉であり侵略という解釈はできないのか。仮にそうだとすれば、「世界中の子どもが幸せになれる」ために、いまを生きる子どもたちを巻き添えに惨殺してもいいというのが彼らの論理ということになり、「世界を変えてゆく」というのはあくまでキリスト教側の論理に叶うように、従わない異教徒を抹殺してもいいのだという極論に結びついてゆくことになってしまう。もちろん、キリストの教えというのがそんな野蛮なシロモノだとは思わないが、では、いままさに世界で起こっているいくつかの問題との間に横たわる矛盾についてどう考えているのか。祈ることもまた尊いと思う反面、その偽善にすらならない矛盾について目を向けたとき、どうしても宗教が抱えるある種の危険性についても考えてゆかざるをえないのだ。もとよりキリスト教だけの問題ではないが。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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