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猫池罵詈雑言雑記帳
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「ほとんどみんな“推進派”ですよ」  知人がとある原発地域のひとびとについてこう語ってくれた。 「なにしろ周辺住民の大半が原発やその関係で(得たカネで)生活しているんですからね」

 差し障りがある可能性もあるので具体的な地名はふせるが、その現地ゆかりの人物からの話だけに非常な説得力を感じた。
 つまりは自分たちの生活のための原発。「(おそらくは)危険なのはわかるけれど、オレたちはコレ(原発)がなければその日のメシにも困るんだ」という素朴な論理であろう。驚くべきは、たとえテレビ画面のなかだとしても、福島でのあの惨状を目の当たりにしてもなおそうした“達観”にとらわれていることだ。そんな生活の糧など、重大な危険との引き換えに恵んでもらっているカネにすぎないことは、おそらく当人たちもわかっているとは思うのだが……。

 こうしたセンスがほかの原発周辺を含めて一般的なのかどうかはともかく、ある種、わが国に蔓延してきた“ムラ社会の論理”に通ずるものがありはしないだろうか。
 たとえば、『そして我が祖国・日本』(本多勝一・朝日新聞社/1983年)では、1章を費やして田中角栄氏を輩出した新潟3区をリポートしている。ときはロッキード疑獄のさなかである。しかしそこにみえてくる“田中先生”はわが国屈指の豪雪地帯であり過疎化が著しい地元にとっての救世主だ。

(田中先生は)道が狭けりゃ広げる、雪があったらどかす、これだ。なにしろ実行してくれたんです。(中略)道が村を通るとき、中心部は黙っていても通る。(中略)辺地を優先するような交通や電信・電話などありえない。「東京なんかの大都市の人間はそれです。黙っていても“文明”の恩恵をうける。過疎地の心なんか、わかるハズもないらに」
──前掲書226ページ

 つまりは、東京をはじめとする大都市優先で開発が進められてきたなか、「死ぬ寸前」にまで陥っていた村を救ったのが田中氏だという論理である。
 これそのものは説得力を持つごく自然な考えではあろう。だが、本多氏がその後段で指摘するように、そうして「死ぬ寸前」にまで追い込まれたのはなぜかを考えると、氏がたとえる「マッチポンプ」というひとことがその価値観を転覆してしまう。

 村が「死ぬ寸前」までになってしまったのは、田中をはじめとする自民党政権の政策によるものだ。田中たちがそうさせた。させておいて「救う」もないものだ。ロッキード疑獄に象徴されるように、歴代自民党政権は合州国資本と大企業のモウケのために農村や漁村を徹底的に犠牲にした。そうしておいて、自分の選挙区の村だけ「救う」などという見えすいたことをする。(中略)
 村人たちは、たしかに気付いていない。「列島改造」が大企業のもうけと「人間破壊」をもたらすにすぎないこと。(中略)所得が上がり、出かせぎが減ったとしても、それは村人たちが植民地での「ドジン」と同じ位置になりさがることでもあるということ。
──前掲書229〜230ページ

 さて、件の「推進派」(積極的かどうかはともかくだが)が「ほとんど」という原発地域にこれを置き換えるとどうなるか。原発の「おかげで」食えているというけれど、そう仕向けられたのはいったいだれなのか。代わりに海岸を失い、いつ起こるやもしれない大災害との隣り合わせでの暮らし。しかも、そこにはおよそ発展の可能性がないのである。まさに生かさず殺さず(いや、殺すかな)。原発にでっちあげられた箱庭のなかだけで生きることが許される飼い殺しだ。直接的な作業員などは、もっと具体的に被爆にさらされているということもあろう。そうして原発なしでは暮らしが立ち行かないように仕組んでおいて、その陰で大モウケをする連中がおり、彼らにとってみればわずかにすぎないハシタガネがしたり顔でバラまかれている。住民がそれを生活の糧とする……。まさに「マッチポンプ」である。その果てが「“ドジン”と同じ位置になりさが」ってなお気づかないかわかっていても知らぬフリをせざるをえない状態なのではあるまいか?

 原発自体を好きな住民はいない。交付金がふえるとか、地方議員にそれなりのメリットがあるとか、地元の土建会社の仕事がふえるとか、カネに換算した賛成票がと電力会社によってつくられた。これは原発にたいするYES・NOの問題ではない。
──『原発暴走列島』鎌田慧・アストラ/119ページ

 引用は、新潟県巻町における原発建設をめぐってのリポートである。ここからも窺えるのは、原発誘致(または建設賛成)というのが、おこぼれ的にカネさえ得られればいいという買弁的あるいは(悲しき)奴隷根性的発想にこそよるのだというその一端であろう。巻町では、そうした“ドジン”扱いを真っ向から拒否したわけだ。そして、敗れた推進側のうちひとにぎりの連中を除けば、その賛成に至る経緯に歴代自民党政権の政策がもたらした“効果”をみることもできるに違いない。

 いずれにせよ、原発とは早くも限界がみえたシロモノなのである。あれだけ世界各地にあって重大事故など数えるほどとシラを切るムキもあるかもしれないが、その歴史をみればせいぜいが半世紀にすぎないのである。にも関わらず繰り返される大小の事故という事実。そのうち世界規模の影響を及ぼした事故はどれだけあったろうか。スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマ……。
 世界が注目するいまこそが、人類を挙げてエネルギー問題を見直す好機である。それと並行して、わが国内部の政治についても考え直すことがより重要になったということではないだろうか。国策によって“植民地”とされた地域やそこで暮らすひとびとのことを慮ると、日々の節電にだって重みが出てくるというものだ。

■おまけ:
 ああだこだと原発を売り込みたい財界だが、こんな記事はいかがだろうか。

『電力不足 財界「海外移転」いうが アジア 日本より深刻』

 記事に指摘されるまでもなく、ちょっと考えるだけで少なくとも仮説ぐらいは立てられそうな話ではある。こんなお粗末で脅しをかける国と財界。どうせ一般国民などなにもしらないし調べようともしないぐらいにタカを括っているのであろう。まさに“ドジン”扱いである。

 ところで、原発事故などによって東京電力における給与・報酬の削減が実施されるというが、なかば一心同体で原発を売り込んできた官僚たちのそれはいったいどうなっているのだろうか? たとえば旗ふり役でもあった経済産業省の幹部などは給与および賞与の大幅削減に留まらず、一説にひとり数千万円ともいわれる退職金についても放棄させるべきではないかと思うのだが。断っておくが、なにも飢え死にしろというのではない。一般的な世間の常識に鑑みてもらいすぎているカネの一部を自らの責任・ケジメとして国庫に寄与すべきではないかと提案しているのである(ここでは経産省を挙げたがむろん他の関係省庁および官僚も同様)。それすらないなかの庶民増税なんて、どこかおかしくはありませんかね。
 上にリンクした「しんぶん赤旗」の同日にはつぎのような記事も配信されている。

『宮城・石巻 仮設住宅の玄関公費で網戸設置』

 被災地にハエが大発生しているというニュースもあったが、『本紙の取材に対し厚労省の担当者は、「今までハエなどの問題は想定されていなかったが、状況をふまえ、県からの相談を受けて対象となることになった」と話しています。』だそうだ。学校のお勉強というかペーパーテストの類には秀でているかもしれないが、こんなていどのことが“想定外”とは、厚労省はバカの集まりなのか(笑)?
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