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猫池罵詈雑言雑記帳
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 年明け早々にあれこれやっているうちに、もう1週間以上がすぎてしまいました。遅ればせながら、本年もよろしくお願い申し上げます。
 2010年の初回は、2回(たぶん)に分けて年末から今日までのできごとに感じたことをいくつか……。

 国として、ひとつ前進したできごとは、「自立支援法」が廃止に向けて具体的に動きはじめたことがあげられよう。“応益負担”というさもあってあたりまえかのような言葉をしかつめらしく掲げ、障害を背景として仕事や生活にハンデを背負っているひとびとの脚を国が引っ張るといってもいい悪法に対し、国としてその失敗を認めたのである。この法については、当ブログ開始前に姉妹ブログにて触れたことがあるが、そのときの所感を引用してみたい。

「応益負担」という言葉は、一見すると正論のように思われかねないけれど、「今日はラクをしたいからグリーン車に乗ろう(当然グリーン料金が必要)」だとか、「泊まるなら高級旅館」などというレベルの話では、この場合絶対にない。それどころか多くの場合、必要最低限の「応益」なのだ。「交通費すらないから歩いていこう」というところから「通行料」をせしめるような。
 たとえば重篤な心臓病にあって、治療を諦めることが即、死につながりかねない場合。それもけっして「より高度」な治療のためではなく、最低限のケアを受けるのにさらに「カネを払え」というのである。しかも収入は障害が足枷になってギリギリ以前な場合だってあるのだ。
 いままさになんらかの障害を抱えている人たちだけでなく、いわゆる“障害者”になる可能性は常にだれにだってある。(以下略)。

「進む弱者切り捨ての巻」
「破壊的法律の成立の巻」

 果たせるかな、この悪法については批判の声が止むことはなかった。そうしたなか起きて続けられてきた訴訟をめぐり、7日になって同法の廃止などを定めた「基本合意文書」が原告団と国との間で交わされたわけである。
 調印式にあたった長妻昭厚生労働相は「障害者の尊厳を傷つけたことを心から反省する」と表明、今後の具体的な協議に向け意欲を示した。民主党は同法成立にさいし反発してきたが、この件などはまさに政権交代によって実現しつつある前進(というよりも振り出しに戻っただけではあるのだが)といえるだろう。年明けに接した報道なかで、もっとも評価したいできごとである(*補足)。

 
■児童書販売中止への疑問
 話題的にはまったく飛んでしまうが、今日のアップでもうひとつ取り上げたいのは、児童向け雑誌の販売中止事件である。
 これは、福音館書店が発行している児童向け月刊誌「たくさんのふしぎ」の2月号「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」が、“抗議”を受けてその販売を中止したというものだ。
 報道によれば、発明家のおじいちゃんが孫たちに江戸時代の暮らしを説明するという内容で、喫煙しながら孫に語っているシーンなどが描かれていたという。出版社側は「喫煙を推奨したり子供たちの受動喫煙を肯定したりする意図は全くありませんでしたが、喫煙による健康被害などについて認識が足りず、配慮に欠けるものでした」と“おわび”をサイト上に掲載、販売中止に対するフォローをしている。

 あいにく現物をみていないのだが、テレビニュースで放映された誌面をみると、たしかにおじいさんが喫煙していた。ニコニコと笑みをこぼしながら子どもたちになにかを語りかけているようにみえた。だが、はたしてそれをもって販売中止に至るものなのだろうかと訝らざるをえなかった。
 たしかに児童書であることを考えればそれ相応の気配りはあってしかるべきであろう。ましてや時代が喫煙を推奨しない風潮になり、いまままで以上にそうした描写への注意が求められているのはわかる。しかし、件の描写をもって「受動喫煙」がどうの「喫煙」にともなう「健康被害」がどうのというのは、いささか過敏にすぎないかと思うのだ。これが子ども自身がスパスパやっているのであれば、媒体の種類によってはこうした措置もありうると考えるが、テレビ画面に映し出された絵をみるかぎりは、日常のごくありふれたようなおじいさんと孫とのふれあいの場面であったからだ。つまり、このセンスで喫煙をシャットアウトしたいのであれば、雑誌に描かれる仮想世界に対するよりも先に手を打つべき世界があるのではないか(それはそれで歓迎したい部分も多いが*注)。それほどにさりげない場面にすぎない(あるいはそうした抗議なり活動なりを展開しているひとびとがこの場の主導権を握ったといったことがあったのだろうか)。

 報道に接してまず感じたのは、抗議に及ぶ気持ちも理解できる一方で、「大きなお世話」ではないかということであった。雑誌のような印刷媒体は、一部の例外を除けばきわめて選択性の高いものである。たとえばテレビなどとくらべれば、受け手側の自発性が要求され、ダラダラとタレ流されている類の情報とは異なり、「読まない」「買わない」ということによって、たやすく遮断することが可能なのである。ところが、(みるかぎりは)あっさりと販売中止にまで至ってしまったその背景にはいったいなのがあったのか。
 ひとつ想像したのは、一見すると子どもに対して喫煙を奨励したくないという良心的な意図が働いている反面、じつはその狙いは別のところにあったのではないかということだ。傍からみてさも“市民運動”的であっても、その正体が官製の策動であったり、ある種“反動的”な力が働いていることがけっして少なくないらからである。ここでは児童書に掲載された喫煙場面に抗議(疑問を呈するレベルを超えている点にも注意)するという「正論」によってはいるけれど、それが販売中止にまで及ぶという実態をかんがみれば、それが表現の自由に対する言い掛かり(あるいは挑戦)だという気さえしてくる。本当に真っ当な「抗議」だけを受けての販売中止だったのだろうか? もう少しソフトな言い方をすれば、「なにかイヤな感じがする」ということである。こうしたみかたは穿ちすぎというものだろうか?


*補足:
 この法が定めているようなレベルでの“応益負担”には真っ向から反対せざるをえない一方で、現行でみられる「割引」(公的制度のほか、各自の判断で取り入れられているものを含む)の類についてはいろいろと思うところがあり、いずれ自分なりにこのブログで記してみたいと考えている。ここでは割愛するが、たとえば車椅子を使っているひとがなんらかの施設(ハコものやホテルなど)を利用するさい、これを「車椅子の客が来た」と捉えるか、それとも「客が車椅子で来た」と捉えるかというあたりにヒントがありそうな気がしている。

*注:
 念のために書き添えておくと、個人的には喫煙に対するきまりごとをもっときちんと整備・実施すべきだと考えている(もちろんマナーに優れている喫煙者も増えてきたように思えるが、そうでない場面にイヤというほど遭遇させられるからこそそういう話になってしまう)。一部で取り入れるとかどうかで騒動になっていた飲食店などを一様に網にかけるというのは反対だが、少なくとも道路や交通機関、公的施設などの公共の場では一律に禁煙(それも罰則つきが望ましい)化すべきではないだろうか。しかしながら、ひとそれぞれに嗜好品があるというレベルで喫煙愛好者の権利も保護されるべきであり、そういう意味からも、今回のような措置に対する疑問だしも可能ではないのかという気がしないでもない。はたして、この事件の抗議者らは、ご自分の両親(義理を含む)が喫煙者だったとして、そうした「おじいちゃん」「おばあちゃん」が子ども(祖父母にとっては孫)と接するときに、喫煙に対し(ついウッカリだとしても)目くじらをたてて“抗議”をしているのだろうか?
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 レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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