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猫池罵詈雑言雑記帳
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 本業の追い込みもあってすっかり後追いになってしまったが、大阪府の君が代起立条例強硬採決事件について少しだけ触れておきたい。
 ご存じのとおり、件の条例は弁護士兼タレント知事とその子分集団「大阪維新の会」が提出、3日に採決されたもの。「国歌の斉唱について定めることにより、府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」とし、「服務規律の厳格化を図る」(第1条)と謳っているが、ようは「君が代斉唱」のさいの起立を絶対のきまりとし(ホンネでは歌わせたいのだろうが)、言うことをきかないヤツはクビにするよというものである。

 この条例、おおまかに疑問を呈しておけば、「国歌」(ただしのこの場合は「君が代」のみをさす。仮に「さくらさくら」あたりが国歌に指定されていたとしたらハシモトサン、どうだったろうか?)を斉唱することを「伝統と文化を尊重」だの「国と郷土を愛する意識の高揚」に直結しているあたりに、あまりに短絡的な発想がある。オレ個人の考えでいえば、別段「君が代」なんぞありがたいともなんとも思わないし、そんなお仕着せの“国歌”など歌わなくたって祖国の「伝統と文化を尊重」しているし、「国と郷土を」に愛着を持ち大切にし、かつさまざまな点で誇りに思っている(ただし、より近い心情としては「国」は「国家」とはイコールではなく、むしろ民族集団としての日本およびその文化ということになろう)。もちろん、「君が代」をもってそうした感情を抱くひともあろうし、「国歌」として尊重したい個人としての心情をあえて否定しようとは思わない。
 だが、ここではこれはもう完全に一方的に「君が代」斉唱なくしては「伝統と文化を尊重」だの「国と郷土を愛する意識」もヘッタクレもないと公式に「規定」されたのであり、思想心情的に片方の側が仕掛けてきた暴挙だという点を指摘しておく必要もある。念を押すが、「君が代」を尊重するしないは個人の自由。問題はその「自由」を公が自由としなくなったところにある。

 さて、記者会見において記者の質問に応えた知事、「職務命令は絶対」「自由なんかないんですよ」といった旨で言い返し、かつ記者らに「みなさんも上司の命令に対し個人の思想・良心の自由があるといえるのか?」と自らの暴挙を正論化したという。なるほど。仮にあの知事の弁が正当であるならば、大阪府のみなさんよ、たとえば職場で「おい、オレのチンポをしゃぶれ!」だの「そこで裸踊りをしろ」だのといったセクハラ・パワハラetcはそれこそやり放題、ある種の連中にとっては天国であろうし、イヤならさっさとお逃げなさいであろう。そんな下世話なたとえでなくとも、役所や企業(なにしろ知事自らが「みなさんの会社では」のように主張しているだからな)において上司の命令には絶対服従。それも、業務云々をさておいてもいかなる理不尽な要求や命令にも従わなければ「クビ」もOKである。スケベな例が適当でなければ、たえば信仰(宗教)上での信条の自由も、著しく侵害していいと首長が宣言したようなものである。大阪府とはそういう自治体になったということなのだ。

 一方、真面目に述べるならば、これまで綿々と討議されてきたように、公の場での「君が代」公式斉唱や「日の丸」公式掲揚は、極めて思想・信条の自由に関わることである。これは「君が代」が天皇および天皇制の礼賛だからとか、過去の帝国主義復活につながるのではないかとかそういうことではない。仮にこれがさっきたとえに出した「さくらさくら」の場合でも同様で、(犯罪でもなく)心情または信条として本人がイヤだということを公的に強制するというところに問題がある(まさにパワハラ)。このことはすなわち憲法に規定された「思想・良心の自由」にも深く関わってくるということだ。そういう前提が厳然とありながら、組織服従を振り回し、条例制定を強行したわけだが、その事実そのものがじつは自らの強弁に矛盾しているということを、あの弁護士資格を持つ知事はご存じないのだろうか。
 憲法とは国のあり方の方向性を示すとともに、国家としてある種「したがわねばならないこと」を明文化したきまりである(オレは法律にはシロウトの一市民にすぎないが、それだってこんなことが憲法のイロハであることぐらいは理解しているつもりだ)。ここで制限されるのは国民ではなく国家、あるいは為政者の側なのである。ということは、上意下達を必然として主張していながら、そのとうの本人が(自己の主張によれば)盲従すべきより上位のきまり「憲法」を無視していることへの説明ができなくなってしまう。

 言い換えれば、あのタレント知事の弁が正しかろうとそうでなかろうと、より上位にある「憲法を守れない政治家には『免職を含む懲戒処分』(件の条例)」を下さなければそれだけで大いなる矛盾ということになる。くどいようだが、憲法は刑法や民法とは異なり、なによりも国家のあり方や為政者の逸脱を制限するきまりである。だからこそ憲法改定を叫ぶひとや組織もあり、あれだけ事実上の強大な軍隊になっていようとも「自衛隊」は「軍隊」と法的に規定できず、そうしたもろもろを推進した側がいかに勢力を持とうともいまだ“決定打”に及べないのである。そんな事実を無視して、わが国の司法が正常ならば、弁護士としての常識を根本から問われてもなんら矛盾のないお戯れといえよう。

 この暴挙にさいし、(おそらくは同じ考えの)自民党を含め、民主党、公明党、共産党の各党は反対の意志を示した。(ホンネではおそらくは同じ考えであろう)文部科学省でさえ「聞いたことがない」というから、これがいかに常軌を逸した事件だったのかを窺うことができるというものだ。なお、補足しておけば、真の狙いは現職の教員の統制ではなく、むしろこれからの教員および公務員の採用に向けてのデモストレーションのような気がしている。こんな条例がまかり通っている大阪府に、はたして「君が代」(だけではないが)に疑問を持っているひとが求職をする気になるだろうか? これは形を変えた門前払い、それも思想・信条に踏み込んだそれではないのか? となれば、真に影響がみえてくるのは(放射能汚染と同様に)数年あるいは十年単位の近未来である。

*おまけ:
■注:条例の「服務規律の厳格化を図る」「免職を含む懲戒処分」をみてとっさに思い浮かんだのがつぎの一文である。

 全党員は偉大な金日成同志の革命思想以外には他のいかなる思想も知らないという確固たる立場を堅持し(中略)、それに反する現象とはいささかも妥協せず原則的に闘争できるようになった。
──「朝鮮労働党略史」『ソウルと平壌』萩原遼・文春文庫128ページ

 思想信条の自由を理不尽に規制し、反するものは「いささかも妥協せず原則的に闘争」の対象とされる。まさに“ファシスト”の発想であろう。
 なんにしても、モノ言えない社会や組織はいずれダメになる。身近なところでは原発問題なんかもありますなぁ。左遷された研究者、出演を干されたタレントetc.……。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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