「鉄道業失格の巻」で、珍しくも石原のおとっつぁんのことを肯定的に取り上げさせてもらったが、その続報が配信されている。
この事件、大雑把にいえば、震災時に公共施設である駅を管理者である東日本旅客鉄道株式会社が独占、同社乗車客を含む利用者を締め出したというもの。それに対して、おとっつぁんが苦言を呈しつつ「課税強化するぞ!」のごとくある種の“恫喝”に打って出たワケだが、6月20日になって、同社の清野智社長が都庁に赴いて都知事宛に“謝罪”をしたというのだ。
この事件、大雑把にいえば、震災時に公共施設である駅を管理者である東日本旅客鉄道株式会社が独占、同社乗車客を含む利用者を締め出したというもの。それに対して、おとっつぁんが苦言を呈しつつ「課税強化するぞ!」のごとくある種の“恫喝”に打って出たワケだが、6月20日になって、同社の清野智社長が都庁に赴いて都知事宛に“謝罪”をしたというのだ。
その席上で、駅構内を災害時などの避難場所として活用するといった類の検討をすると会社として語ったというのだが、それにしても傲慢かつ視点喪失のユルイ会社であり経営者である。なによりもまず、おとっつぁんに“謝罪”してどうするというのだ? たしかに「抗議文」を同社宛に送ったのは都知事ではあるのだが、しかし実際に大迷惑を蒙った側の姿が、ほんの少しでもみえたうえでのことなのだろうかと疑わざるをえない。昨日の今日のことなので、あるいは今日にでも謝罪広告のひとつでも打っているかもしれない。しかし、だとしても同社(もっといえば、JRグループ各社)の体質として、はたしてどこまで真剣にコトを捉えているかがどうにも疑わしいのである。そもそもが、そうでなければあんな措置──寒空のもと、さっさとシャッターを下ろして利用者を追い出した──をあたりまえのように取ることができるハズがないではないか(ついでながら、列車内でのゴメンナサイ放送は絶対にやめてもらいたい。ただでさえ放送騒音の坩堝である。そんな言い訳のタレ流しなんぞ、乗客にとってはうるさいだけのシロモノだ)。
閑話休題。
じつは、おとっつぁんからの抗議からは、JRという巨大組織に膨張している傲慢、見方によっては“反社会性”といえるかもしれない実態が窺えてちょっと興味深い。おとっつぁんは、駅をはじめとする事業用地および施設にかかる税の優遇措置云々をタテにしているが、ここには今後を含めた大きな問題が健在しつつあるのだ。
たとえば駅ビル。それそのものは規模の大小はあるものの、多くの鉄道会社が古くから手掛けてきた商業施設であり、利用者の側からしてもなかなかに便利な施設である。国鉄駅にもそうした施設が多くつくられてきたが、民営化されてからはさらに拡大、いまや駅と商店との主客すら曖昧になってきたほどだ。もちろん、鉄道事業だけではまかなえない部分の売り上げや利益にも供与しているに違いない。
しかし問題のひとつとして、駅というのが商売上に有利な特殊なロケーションを持つということを指摘しておくことも必要だろう。一部に例外こそあるものの、とりわけ大都会にとってのそれは絶対的とまでいえるかもしれない。地方路線だって大同小異だ。たとえば今般相次いだ新幹線駅の開業に伴い、取りつき部分を含む周辺道路や駐車場が整備され(建設費用はだれが負担したのか?)、そんな駅に自社あるいは関連会社が既得権とばかりに商店やテナントビルを開く。いまや飲料水の自販機やホーム上などの小売店(キヨスクの類)、大は巨大ショッピングセンターやホテルまで、いわばJRコンツェルンのごとく自社グループでの寡占化が進行中だが、それはすなわち地域の商圏を大資本と一等地とをタテにそのウマミだけを掬いあげるということではありはしまいか? しかもその一等地たるや、元来は国と国民の財産だったシロモノである。同業者と比較した場合でも(例外はあるものの)、幾多の私鉄が自らの経営努力で一等地を獲得あるいは開発してきたのとは180度異なる。加えて税の優遇? ほとんど八百長ともいっていいいほどの機会不平等ぶりである(より儲かる新幹線開業と引き換えに儲からない在来線を切り捨てられるなどというのも同様だ)。
そのようにハナっから有利に仕組まれた大企業(JR)が、自社の駅だとして思うままに商売を繰り広げる。もとから地域に根ざしてきた商店街や商店にとってはたまったものではないだろう。なかには相乗効果的な物件や地域があることも否定はしないが、それとてJRの側がそう望んでのことなのかどうかということになるといささかの疑問がある。むしろ地域の特徴や利点のオイシイところだけを存分に利用し、そのオコボレを「相乗効果」のごとく錯覚させていくだけの可能性もあろう。
いずれにしても、地域にとって残される道は、JRに“上納金”を納めるなどして新一等地での「商売をさせていただく」か、さもなければまったくの転換すら迫られることになろう。これでは侵略を受けた奴隷のごとくではないか(一部の買弁的連中を含め)。
かつて、駅といえば地域の玄関であり、ひとの集うコミュニティの役割も強く持ってきた。駅長はいわ土地の名士であり、駅というものが公共の場として利用され親しまれてきたハズである。ところが、述べてきたような既得権(八百長的だが)商売が大手を振るとともに駅を社用施設としてしか考えていないかのようなセンスが横行し、その挙げ句が災害時の利用者締め出しだったのだ。でなければ「(駅構内を)避難場所としての活用を検討」といった類の傲慢発想が出てくるワケがない。
みんなの乗り物。みんなの駅。そうした鉄道としての大前提すら顧みようともせず、本業とは別のところにばかり自らの利益を求める元日本国有鉄道JR。公共の財産を勝手気侭横暴に食いつくし、彼はいったいどこに向かってゆくのか……。
*補足:
こうした現象は、なにもJRだけでなく大手資本のスーパーマーケットなどがさんざん展開してきたことではあるけれど、大店法改定に伴いオイシイ思いをしたそれら“ハコ屋”も、その後の景気後退などの影響で厳しい状況にあるようで、周辺地域の商圏をズタズタにしておきながら、いざカネモウケができなくなればさっさと撤退してしまい、残るは商圏もろとも飲み込んだ廃虚のみということもある。もちろんそんな単純化できるとは思っていないし、大手資本だけに責任があるとは考えていないが、だとしても彼らのしてきたことが本当にその地域のためになっているのかという見方を、もっと真剣にしてみる必要があるように思う。
ところで、「鉄道事業者法」には以下の一文がある。
・第十八条の二 鉄道事業者は、輸送の安全の確保が最も重要であることを自覚し、絶えず輸送の安全性の向上に努めなければならない。
すなわち、鉄道会社にとっては、駅ビルなどの商売(サイドビジネス)ではなく、「輸送の安全」こそが「最も重要」なのである。ところがJRのあのていたらくはどうか。さしあたりは西と北。JR北海道での列車火災をはじめ、このところさまざまなほころびが明らかになっているが、これははたして各社それぞれの内部だけに帰結できる事件だろうかとも思う。民営化二十余年を経てほころびだしたJR全体が抱え込む社会的裏切り行為なのではないかとすら想像するのだが。
閑話休題。
じつは、おとっつぁんからの抗議からは、JRという巨大組織に膨張している傲慢、見方によっては“反社会性”といえるかもしれない実態が窺えてちょっと興味深い。おとっつぁんは、駅をはじめとする事業用地および施設にかかる税の優遇措置云々をタテにしているが、ここには今後を含めた大きな問題が健在しつつあるのだ。
たとえば駅ビル。それそのものは規模の大小はあるものの、多くの鉄道会社が古くから手掛けてきた商業施設であり、利用者の側からしてもなかなかに便利な施設である。国鉄駅にもそうした施設が多くつくられてきたが、民営化されてからはさらに拡大、いまや駅と商店との主客すら曖昧になってきたほどだ。もちろん、鉄道事業だけではまかなえない部分の売り上げや利益にも供与しているに違いない。
しかし問題のひとつとして、駅というのが商売上に有利な特殊なロケーションを持つということを指摘しておくことも必要だろう。一部に例外こそあるものの、とりわけ大都会にとってのそれは絶対的とまでいえるかもしれない。地方路線だって大同小異だ。たとえば今般相次いだ新幹線駅の開業に伴い、取りつき部分を含む周辺道路や駐車場が整備され(建設費用はだれが負担したのか?)、そんな駅に自社あるいは関連会社が既得権とばかりに商店やテナントビルを開く。いまや飲料水の自販機やホーム上などの小売店(キヨスクの類)、大は巨大ショッピングセンターやホテルまで、いわばJRコンツェルンのごとく自社グループでの寡占化が進行中だが、それはすなわち地域の商圏を大資本と一等地とをタテにそのウマミだけを掬いあげるということではありはしまいか? しかもその一等地たるや、元来は国と国民の財産だったシロモノである。同業者と比較した場合でも(例外はあるものの)、幾多の私鉄が自らの経営努力で一等地を獲得あるいは開発してきたのとは180度異なる。加えて税の優遇? ほとんど八百長ともいっていいいほどの機会不平等ぶりである(より儲かる新幹線開業と引き換えに儲からない在来線を切り捨てられるなどというのも同様だ)。
そのようにハナっから有利に仕組まれた大企業(JR)が、自社の駅だとして思うままに商売を繰り広げる。もとから地域に根ざしてきた商店街や商店にとってはたまったものではないだろう。なかには相乗効果的な物件や地域があることも否定はしないが、それとてJRの側がそう望んでのことなのかどうかということになるといささかの疑問がある。むしろ地域の特徴や利点のオイシイところだけを存分に利用し、そのオコボレを「相乗効果」のごとく錯覚させていくだけの可能性もあろう。
いずれにしても、地域にとって残される道は、JRに“上納金”を納めるなどして新一等地での「商売をさせていただく」か、さもなければまったくの転換すら迫られることになろう。これでは侵略を受けた奴隷のごとくではないか(一部の買弁的連中を含め)。
かつて、駅といえば地域の玄関であり、ひとの集うコミュニティの役割も強く持ってきた。駅長はいわ土地の名士であり、駅というものが公共の場として利用され親しまれてきたハズである。ところが、述べてきたような既得権(八百長的だが)商売が大手を振るとともに駅を社用施設としてしか考えていないかのようなセンスが横行し、その挙げ句が災害時の利用者締め出しだったのだ。でなければ「(駅構内を)避難場所としての活用を検討」といった類の傲慢発想が出てくるワケがない。
みんなの乗り物。みんなの駅。そうした鉄道としての大前提すら顧みようともせず、本業とは別のところにばかり自らの利益を求める元日本国有鉄道JR。公共の財産を勝手気侭横暴に食いつくし、彼はいったいどこに向かってゆくのか……。
*補足:
こうした現象は、なにもJRだけでなく大手資本のスーパーマーケットなどがさんざん展開してきたことではあるけれど、大店法改定に伴いオイシイ思いをしたそれら“ハコ屋”も、その後の景気後退などの影響で厳しい状況にあるようで、周辺地域の商圏をズタズタにしておきながら、いざカネモウケができなくなればさっさと撤退してしまい、残るは商圏もろとも飲み込んだ廃虚のみということもある。もちろんそんな単純化できるとは思っていないし、大手資本だけに責任があるとは考えていないが、だとしても彼らのしてきたことが本当にその地域のためになっているのかという見方を、もっと真剣にしてみる必要があるように思う。
ところで、「鉄道事業者法」には以下の一文がある。
・第十八条の二 鉄道事業者は、輸送の安全の確保が最も重要であることを自覚し、絶えず輸送の安全性の向上に努めなければならない。
すなわち、鉄道会社にとっては、駅ビルなどの商売(サイドビジネス)ではなく、「輸送の安全」こそが「最も重要」なのである。ところがJRのあのていたらくはどうか。さしあたりは西と北。JR北海道での列車火災をはじめ、このところさまざまなほころびが明らかになっているが、これははたして各社それぞれの内部だけに帰結できる事件だろうかとも思う。民営化二十余年を経てほころびだしたJR全体が抱え込む社会的裏切り行為なのではないかとすら想像するのだが。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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