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猫池罵詈雑言雑記帳
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 ここに至って、我らがアベシンゾーやおとりまきらを指して「馬鹿」と呼ばわりすることのためらいがなくなったことは、以前、「馬鹿の巻き添えは御免蒙る・・・の巻」に記しました。その後の(とはいっても、たいして時間は経っていないのですが)動きをみていると、他人をそうたとえることの卑しさという点で己を反省するどころか、むしろもっと酷いことになっているとの思いを禁じえません。

 おそらくは、それに近いかあるいはもっと辛らつな思いに違いありませんが、ネット上にあるふたつの記事を紹介してみましょう。

 ひとつめは、「改憲派の憲法学者が安倍政権の改憲を批判する理由…愛国の義務化で“非国民”再教育制度が!」です。

http://lite-ra.com/2015/05/post-1070.html

 リンク記事は、改憲論者として知られる慶應義塾大学名誉教授の小林節氏の著書『タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか 護憲的改憲論という立場』(皓星社)を紹介したもの。
<35歳の助手のころから自民党の憲法改正論議に付き合ってきた筋金入りの改憲論者だ。安倍晋三首相の祖父でいまは亡き岸信介元首相が会長をしていた「自主憲法制定国民会議」にも最年少メンバーとして参加し、1994年に読売新聞社が出した「読売改憲試案」にも深くかかわっていた。>(同記事)
 という著者が鳴らす警鐘とはなにか? 詳しくはリンク記事をお読みいただきたいと思いますが、たとえばつぎのくだりはいかがでしょうか。

それでも「改憲」という大きな目標に向かって進むのならと我慢して付き合ってきたが、自民党が具体的な「憲法改正草案」を出したところで糸が切れたのだという。

 〈私はこれで具体的な改憲論議を始める叩き台が出来たと、素直に喜んだ。しかし、中身を読んで、私は落胆し、遂には怒り出していた〉

 何が問題なのかというと、どれだけ口をすっぱく教えても憲法とは何か、立憲主義とは何かがまったく理解できない人たちだったということだ。議論の前提となる基礎知識すら共有できないのだから話にならない。改憲をこんな奴らにやらせたら、トンデモないことになるというのが小林氏の言い分だ。では、憲法とは、立憲主義とは何なのか。

 〈そこで、いま、改めて原点を確認しておきたいが、憲法の本質は、主権者・国民が権力担当者に課す制約である。(中略)憲法は、主権者・国民大衆の中から例外的に選ばれて個人の能力を超えた力を託された人々(つまり権力者)が、人間の本来的な不完全性ゆえに、その権力を乱用することがないように、権力に歯止めをかける規範である
 〈言うまでもないことであるが、心配だからあえて言うが、憲法とは、主権者・国民・大衆が、一時的に「権力」という大きな力を国民から託された権力者(つまり政治家と公務員)がその権力を濫用しないように「権力者に課した制約」である。それが権力者によって無視されたら、もはや日本も例えば北朝鮮と違いがなくなってしまう〉

 同書には、こうした表現が繰り返し出てくる。ところが自民党の草案は、この立憲主義の大原則を踏み外し、国家が国民を縛るかたちになっているというのである。2012年版「自民党憲法改正草案」第102条に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とあるのはその象徴だ。憲法を尊重しなければならないのは、国民でなく権力者だ。
(中略)
〈そこで、改憲論者である私も、最早これまでと思い、反対の論争を始めた〉のだ。
(リンク記事。下線挿入はブログ筆者)

 まさにそのとおりでありましょう(「馬鹿の巻き添えは御免蒙る・・・の巻」で引用した伊藤真氏の「中高生向け」コメント参照)。「刃物とはなにか?」、そんなことをまったく理解できない赤ん坊のごとしなのが、アベ政権であり、そのおとりまきなのであります(いや、いくら「無知」のたとえだとしても、これでは赤ん坊に失礼。したがって、抽象的表現としての「馬鹿」こそが最適)。こんな恥知らずの政権が、世界に名だたる自由な民主主義国家であり先進国にわがニッポンに君臨しているとは……。北朝鮮の主体思想がその為政者でしか通用しないように、自民創価主体思想も本来はそうあるべき。

 いまひとつは、当ブログでたびたび引用させていただいている“元・自民党幹部”の白川勝彦氏(リスペクト!)の「永田町徒然草」です。

http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1686

「日米安全保障条約を中心とする日本とアメリカの二国間関係は、双方にとって死活的に重要な二国間関係である」というのが、私が国会議員当時(平成10年頃)の、最大の肯定的な表現であった。これを修辞的に日米同盟と呼ぶのは許されるとしても、政治の場で“日米同盟”と無批判に呼ぶのは、断じて許されない。日本の政治家である限り、絶対に許されないことなのである

およそ政治的知識も見識もない安倍首相が、アメリカでどのような演説をしようが、日米安全保障条約や日本国憲法は毫も変わらない。安倍首相が、日本とアメリカとの関係を“希望の同盟”と表現したとしても、それは文学的表現に過ぎない。そんなものは、政治的には全く意味がない。従って、これを批判する者は、日米安全保障条約と日本国憲法に基づいて、正面から批判しなければならない。これからの国会論戦を、じっくりと見る必要がある。>(リンク記事。下線挿入および太字強調はブログ筆者)

 白川氏の指摘も、前出の小林氏のそれと通ずるところがあります。すなわち「同盟とはなんぞや?」というその基本のところすらこれっぽっちも理解できていない無知なアベ政権。それでいて強力な刃物を振り回しているのだからたまったものではありません。
 しかしもっとも危険視すべきは、そういう政権を生み出し、存在を許しているのがほかならぬニッポンジンだということでしょう。政権は国民の態をなすという意味において(いわんや、北朝鮮や中華人民共和国などとは異なる自由主義民主国家でその体たらくなのですから、言い訳のしようがないわけです)。

 それにしても。マトモな(?)改憲論者はさておきかもしれませんが、改憲の正当性を訴えるひとつのアピールとして、現・日本国憲法が宗主国であるアメリカ合州国から押しつけられたものであるという論があります。これについては、「たとえそれが事実だとしても、いいものはいいのだ」という反論が容易にできますし、「押しつけ」についての解釈の違いだってあります。しかしそれはさておくとして、その「押しつけられたからダメだ」とのお説を振りかざしながら、アベ改憲の目指すところがアメリカ合州国の下請け化でありこれまで以上の隷属化であることはケッサクのひとこと。自衛隊の扱いしかり。沖縄問題しかり。(改憲とは直接の関係はないかもしれませんが)TPPしかり……。

 こんな単純な矛盾にすら気づかない(フリをしている?)連中に対しても、「馬鹿」というのはまっこと相応しい比喩とはいえないでしょうか?

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 この冬、わが母堂がインフルエンザに罹った。滅多に風邪の類をひかない母だが、年齢を考えるとインフルエンザはおそろしい。処置が早かったせいもあるのか、幸いにして大事には至らなかったが、そこでちょっとしたひと悶着があった。

「あー……、なんでこんなに食欲がないのかしら。このまま食べられなくなったらどうしよう……」
「なにいってんの。風邪をひけば食欲がなくなってあたりまえ。ましてやインフルエンザじゃないの。そのていどで済んでむしろラッキーなぐらいだよ」
「でもねぇ……。ぜんぜんなにもノドを通らないのよ」

 予防注射の効果もあったのかもしれない。一時は39度前後の発熱をみたものの、2日目には平熱になり、懸念していた肺炎の兆候もないままに推移していた(解熱剤を処方されたが、飲ませなかった)。ところが、熱は下がったのに食欲ないとボヤきだしたのである。
 心配はわかる。高齢者が食欲を失い、そのまま弱っていくのを母自身がなんども目の当たりにしているからだ。だが、この場合はまったく心配はないと思っていた。

「だいたいがさ、長年病院に勤めていて、風邪だのインフルエンザだのの症状をイヤってほどみてきたでしょうよ? このぐらいで済んでるんだから大丈夫さ」

 母は、かつて看護婦だの検査技師などをしていたのである。だが、
「そうはいっても、こんなの(自分がインフルエンザに罹ること)ははじめてだし、わかるわけないじゃないのよ」
 とのたまう。

 そんなやりとりをしながらふと思い浮かんだのは、我らがアベシンゾー大先生である。なんだか、ますま増長したかのようにやたら威勢のいいことを抜かしているけれど、いざ問題が生じたらどうなるのだろう。もっとハッキリいえば、他国との武力衝突やら戦争やらに突入したら、その威勢のよさを彼(ら)は保つことができるのか?
 案外、
「そうはいっても、こんなの(戦争)ははじめてだし、わかるわけないじゃないのよ!」
 などとしたり顔でのたまうのがせいぜいなのではあるまいか?

 これは、なにも自国に爆弾が降ってくるとかそういう意味だけではない。いままさに彼らが進めようとしている外国(アメリカ合州国)の下請け作業の合法化、その結果起こるべき諸問題も同じである。いや、武力の行使としての戦争だけでなく、武力なき侵略であるTPPだって根は同じであろう。こちらのほうは、まだいくらかブレーキが機能しているようにも見えるが(本拠地のアメリカにもアンチムーブメントがあるという)、隷属後、推進した家畜人どものうろたえぶりは見ものかもしれない。そうはならないようにしなければならないが。

 ところで、わが母堂にそれ(アベシンゾー小話)をしたところ、
「あんなのと一緒にしないで!」
 とおかんむりであった(笑)。

 さて、ここからが本題。
 そのアベシンゾーやお取り巻きであるが、彼らをさして「馬鹿」だのといった揶揄が巷には結構あるらしい。オレ自身もそうは思いながらも、当ブログなどで極力そうした言葉を避けるように心がけてきた(まったく使わなかったワケではないが、この場合の「馬鹿・バカ」は「バカバカしい」といった用法とは異なるので念のため)。が~。やはり彼らは「馬鹿」なのだと思い直した。

 いわく、
「我が軍」
 あるいは、
「八紘一宇」
 ……。

 なぜ「馬鹿」だと思い直したか?
 それは、彼らがどうやらその意味をこれっぽちも理解しないままに、それも責任ある立場を利用してこれらの言葉を使っているからである。

 自衛隊は、明らかに軍事組織である。わが国の憲法第9条を素直に読めば、間違いなく違憲である。だが、「専守防衛」という制限を設けたうえで、今日まで機能してきた。
 個人的な見方ではあるが、自衛隊という存在が、まったく意味がないとまでは考えてはいない。ソ連時代にはいまとは比較にならいほどの領空侵犯ないしそれに類する行動があったといわれているし、近隣には正常な外交が困難なだけでなく、なにかにつけ武力を誇示している国だってある。また、自然災害時などに自衛隊が危険な任務を請け負ってくれていることも事実だ(これについては、なにも軍事組織ではなくてもいいと考えているが)。
 しかし、それが軍事組織だとしても、自衛隊と軍隊との間には大きな違いがある。

 現在の憲法では、自衛戦争も含めて一切の戦争を放棄していますから、(中略)自衛官やレスキュー隊員に危険な仕事を強いることはできません。ですが、仮に憲法が改正されて自衛軍をもつということになると、「自衛のため」という憲法上の要請からさまざまな人権はもちろん、一般国民の人権も「軍のため」という理由で制限が許される可能性があります。(中略)軍隊を憲法上の制度にするということは、単に軍隊をもつ国になるということだけでなく、私たちの人権を制限する根拠をまた新たにつくり出す(以下略)。

 上の一文は、『世界』(岩波書店)2005年1月号に掲載された(「中・高生のための憲法教室」第10回・公務員の人権が制限されるワケ・伊藤真)からの引用である。ここに触れられているとおり、わが国の憲法における基本的人権の尊重にも関わってくる根幹的な大問題だ。
 まさかあのアベシンゾーらが、こうした一文を読んでいるとはとても思えないが、それにしたってこれは常識の部類であろう。それすらを理解できていないらからこその「我が軍」発言であり、言い換えれば「馬鹿だからこそ言えたひとこと」なのである。「馬鹿」が言いすぎなのであれば「不勉強」でもいい。

 これはもう思想や信条以前の大問題。あんなのを首相にしているニッポン、その国民の標準的レベルを目の当たりにした思いだが、「八紘一宇」のおばさんにせよ、大阪のエキセントリックなおっさんにせよ、どうも現代ニッポンジンのガキ化が想像以上に深化しているのかもしれない。

 常日頃から思ってきたことに、「バカを装わなければいけない空気」というのがある。「バカを装うのがたしなみ。これが現代ニッポン」というワケだ。TV番組(とくにバラエティの類)もそうだし、市井のおいてもそうだが、「いかに自分をおバカにみせるか?」、そんなのにご執心なように思えてならないのである(コメディアンの類はいちおう別だが、いくら仕事とはいえなにもそこまでに……と思うことはある。本当はとってもアタマの切れるステキな人物だったりするのだろうけど)。わっざわざ白痴めいたしゃべりと行動。気がつけば己の程度の低さに気がつけないほどになってしまったということなのだろうか。
 そんな“空気”に満ちたニッポンだからこそ、あんな連中が、よりにもよって国や地方自治を動かす責任を握っているということなのかもしれない。これはもう重病なのではなかろうか?

PS.
 弁護士の白川勝彦氏(リスペクト!)が粋な言葉の引用をしていたので、以下に孫引き引用をしておきたい。

「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、 それでもあなたは、それをやらなければならない。 それは、あなたが世界を変えるためではなく、 あなた自身が、世界によって変えられないようにするためです。」

永田町徒然草・己を守るための戦い

 相次いで明るみに出たアベ内閣における金権体質。莫大な“政党保護費”(*注)を合法的にせしめておいてなおカネを集めては開き直る面々。

 ボスたるアベシンゾーをはじめ、彼らがのたまうには「法は犯しておらず、合法である」という次第だが、そんな開き直りのザマをみるにつけ思うのは、そういうニッポンの体質・センスこそが脱法ドラッグを野放しにし、「危険ドラッグ」へと進化させたのだということだ。
 脱法ドラッグは、かつて「合法ドラッグ」として堂々と雑誌広告などにその宣伝が踊っていたが、その後の顛末はおおむね報道されているとおりなのであろう。問題なのは、その「合法」を謳っていたその論理がまさに自民党の諸君のそれと同義であり、言い換えると政府・為政者が率先して脱法ないし“みなし合法的行為(個人的造語)”を働いているということであり、子どもからおとなまでがそんなザマを「これでもかっ!」とみせつけられていることであろう。そういう土壌にあって、合法的ないし脱法的な悪事が蔓延するというのはまったくもって当然の成り行きではないか。
 嗚呼! 「美しき、ニッポン(笑)」

 ココからはオマケである。

 中国人によるサンゴ密漁を大問題視する一方で、ニッポン政府とアメリカ合州国による珊瑚礁(だけではないが)の破壊をなんら批判しない国と御用メディア。密漁はもちろん問題で厳しく取り締まるべきだが、本当の巨悪というのは、むしろ合法的になされるというその好例ではあろう。

 このニッポンというくにの論理。ちょっと古いが同類の開き直り例を引用してみよう。

 本業は「まとめ屋」のK氏は、近頃、連帯保証業も始めた(中略)。
「まとめ屋って何かって? よくあるでしょ、駅のトイレとかに。『多重債務まとめて楽に返済』とか『他店一括して低金利切替え』とか。あれですよ、あれ。やってることは“回し”とか“紹介”だね。審査の甘いサラ金に行かせて借りさせるだけよ。で、こちらに手数料をいただくと。新たな謝金が増えるだけなんだけどね(笑)。で、連帯保証人でしょ、(中略)必要な金額にまずは上乗せしてもらうのね。ま、倍はではいかないけどさ。で、それを謝礼としてもらう。(中略)次にそれとは別に今度はこっちと契約してもらう。この時には公正証書で、強制執行もつけさせてもらう。で、家族全員を連帯保証人にするんだ。こっちは全員から搾り取れればいいんだからね」(中略)
 これではまさに追い剥ぎだ。(中略)連帯保証人になってもらって借りた分は清算されるものの、新たな借金をつくってしまい、それを払うメドはまったくないのだから。
「追い剥ぎねえ(苦笑)。だけどまあ、借りたもんは返すのが道理だから。
こっちは何も法律を犯してはいないんだよ。紹介料とか手数料とか、保証人料ってのはね、あくまでも相手の自由意思なんだ。強制じゃないよ」
(引用ここまで。『別冊宝島216 ヘンな広告』から「黒い紳士のけものみち」・夏原武)

 法というのは、別段正義の味方でもなんでもないというのは常識だが、こんなのはあえていえば小悪の部類であろう。しかし、アベシンゾー一派とこのK氏。その論理の親和性には恐れ入るほかはない。そうしておいて、さらなる巨悪に突き進もうとしているのが、ほかならぬアベ政権でありニッポンという国家なのである。

 もう一度言おう。

 嗚呼! 美しきニッポン!


*注:この「政党保護費」というのはいうまでもなくユーモアの類としての造語である。生活保護およびそのシステムや受給者を揶揄しての言葉ではなく、「生活保護受給者」やその制度をあげつらう一方(特殊を一般化した子どもだましのテクニックでだが)で、政党助成金などという税金の無駄遣いを放置してやなまい御用メディア(とりわけ労働新聞Sや人民日報Y)やその善良な読者らに対する皮肉の意味で用いた。

 極めて危険な状況にあると考える。
 一部では、「自民大勝といっているがそうではない」といった論調がみられるが、はたしてそうなのだろうか。

 比例区の数字をみてみると、自民党はずべての選挙区で前回より得票率を伸ばしているのであれる。小選挙区ともども敗北した沖縄を含めて。一方で維新の党が比例全選挙区で得票率を減らしており、単にそのぶんが自民に流れただけという見方もあるようだが、もう少し仔細に数字をみてみれば、それだけでは説明しきれないだけの票が自民に集まったことがわかるハズだ。
 くわえて自民と同列あるいはそれをしのぐ反動政党である公明党が立候補した小選挙区をすべて制し、かつ比例区の大半で得票率を伸ばしている。白川勝彦氏が繰り返しているとおり、ようは「自公合体」である。言い換えると、(いかに恥ずべき低投票率という背景があったのせよ)彼らが名目ともに勝利を収めたことをムリに否定することは、禁物だということを自覚しなくてはならない。

 個人的に心配しているのは、つぎの比例区である(単位=%)。

選挙区 今回率 前回率

・福島 31.15 25.9
・東京 32.06 24.8
・南関東 33.96 26.4
・静岡 35.12 28.6
・近畿 28.91 23.8

 原発問題の最前線・福島県における原発推進前提政党の得票率増。大都市・東京都や近畿での得票率増。たしかに、そこでは維新の目減りはあった。が、それ以上に自民単独で票を得、さらに相方の公明が伸ばしているのである。こういうのを非常事態とは呼ばないだろうか……。

 一方、共産党の“躍進”はたしかにあったようだ。さきの沖縄知事選に続いて。あるいは東京都議選に続いて。前回は大阪と高知を除いて比例全選挙区でひとケタ台だった得票率のおよそ半数が2ケタ台を示している。率・数ともすべての選挙区で伸ばしているが、組織力はともかく、マスメディアの恩恵をまったく受けないなかでここまでの結果を出せた意味は大きいかもしれない(細かいところでは、保守風土カチカチの鹿児島など九州やアベのお膝元・山口=4.7→8.19などで大幅アップしているのが興味深い)。願わくば、その力となったのが有権者の「怒り」であってほしい。日本人にもっとも切実に欠けているのがそれだと思うがゆえ(外国にばっか揶揄や文句をタレている場合じゃねぇぞ!)。

 しかしまぁよかったじゃないか。

 これでめでたく消費税は10%に上げられるし、大企業の内部留保も増える。消費税についていえば、10%に留まる必然性はなく、遅くとも次期政権時にはその倍程度にまで引き上げられても文句はいえまい。
 TPP締結によって農産物などの大幅値下げもあるだろうから、消費税増税ぶんぐらいなどそれで相殺できるぞ。よかったですねぇ。もっとも、円安による輸入経費の増加ぶんがどなるかは知る由もないが。

 武器輸出、あるいは自国による兵器消費拡大が進めば、軍需産業はわが世の春。当然、宗主国からの輸入も増え、“貿易摩擦”問題も軽減される。もちろん実戦だってOK。やりたければ好きなだけ戦争ができるように、これからはなってゆくのだ。それがアメリカ合州国型の戦争、すなわち自国の一切を戦場にせず、ひたすらに外国およびその領土・領海を戦場にしてゆくのであればともかく、反撃を食らって祖国に爆弾の雨が降るようになれば、増えすぎた人口にも歯止めがかかるであろう。よかったじゃないか。もっとも、アメリカ合州国型であれば、死ぬのは若者が中心になるのは必定で、生き残るは高齢者ばかりということにもなりかねないが。
 しかしそれには大きな覚悟が必要だぞ。ヘタをすれば、宗主国を除くすべての国々を敵に回す可能性すらあるからだ。隣国の韓国にとってもアメリカ合州国への従属度は高いが、それでもニッポンに対する警戒を高めるであろう。中国も然り。ロシアも然り……。もちろん、イスラム諸国からもにらまれる可能性は高い。

 ぁあ、原発。せっかくだから、日本中を原発要塞にしてみたらどうだ? まさに原発立国として世界にアピールするのだ。なにを恥ずかしがることがある。これがニッポンだと胸を張ればいいんですよ。

 しかし、祖国はますます荒廃するだろう。経済的には、不労所得を得られる者のみが冨を享受し、それどころかマトモに働いたところで正当な報酬すら受けられなくなる社会になってゆくだろう。いつのころからだったか、小学生向けに「投資教室」なんぞを開いているとも伝えられるが、これなどは「働かないでカネを得るべし」と子どもたちに吹き込んでいるようなもので、そんなのを間に受けた子どもたちが、長じてどうなるかは知れたものではない。「働くヤツはバカだ」とでも真顔で言い出しかねないのではないか?

 それとともに、不労所得に対する税負担はますます喪失され、言い換えると真面目に働く人や企業ばかりが税を負担するという仕組みになってゆくのである。当然、税収入の減少にもつながり、ここでまた消費税増税に頼ることになる。
 もちろん税の一種としての健康保険税収入もますます厳しさを増すだろう。あるいは、年金負担をできない層がさらに拡大する。そうなれば、国家としての社会保障は破綻せざるをえない。

 ああそうだ。御用マスコミのみなさんもよかったじゃいですか。これでコムズカシイこともせず、政府・与党、あるいは財界の意に沿ったネタを従順にタレ流せばメシが食っていけるのだ。北朝鮮の「労働新聞」なみに生活が保障されるわけだが、“粛清”のリスクもそれなみか(笑)?

 いまや、祖国は死の寸前にある。
 一方であべのなんとかなる妙ちきりんな名称を戴いた「危険ドラッグ」によるトリップに酔い、一方でヤケクソを起こしているようにもみえる。そのヤケクソのひとつが、異常とも思える選挙の低投票率にも顕われているように思うが、それはまた、アベ政権がこれから目論むヒステリー政治として噴出してゆくのだ。
 言い換えよう。
 ニッポンジは、祖国の死を早めたのだ。本質的治療の機会を棄てて……。

 以上が、今回の総選挙を受けての最初の感想である。
 しかし、一方では沖縄が大きな結果を出した。その根底にあるのは「怒り」であろう。その「怒り」の意味を、これからどれだけのニッポンジンが理解し、自らに結びつけていけるか。今度に託せる希望があるとするならば、それだけのような気もする。

 一部では、自民党が実質的に議席を減らしたことなどを挙げ、自民の勝利を否定ないし揶揄するムキもあるが、とんでもない。こと選挙結果だけからみれば、連中の大勝利である。なぜか? それは、野党の大半がもはや自民と同列ないしそれをしのぐ右翼に寡占されつつあるからだ(唯一、ウルトラ右翼の次世代(あの世@藤原新也)の党が豪快に議席を減らしたのは痛快だったが)。

 つぎの表は、オレ個人の勝手な視線で現在のニッポンのおもな政党の位置づけをしてみたものである(クリックで拡大)。



 なにがいいたいか?
 維新だの次世代(あの世)などは自民と同類ないし、それ以上の反動勢力であり、もはや「保守」といいえるのが皮肉にも共産じゃないのかということだ。もちろん、旧来からの左翼的な面は持つにせよ、その主張を読むかぎり、本当の意味(ニッポン流れに「保守=右翼」ということでなしに)での「保守」勢力に思えてならない。言い換えると、それだけもともと「保守」と呼ばれていた勢力が反動化したということだ。
 その保守・共産に「安倍批判票」とも解釈できそうな票が集まったのは興味深い。同じだけの議席を民主だのにくれてやるよりは、よほど野党にあるべき抵抗勢力となるであろう。この点だけは明るい材料といえるかもしれない。

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