テレビニュースなどで自民党の諸君(そういえば雑誌「諸君!」が休刊とのことだが)の顔をみていると、いよいよ定向進化の最終段階にさしかかったのかという気がしてくる。すでに政権はおろか政治すらも投げ捨ててヤケになっているのではないかとさえ思えてくるが、なんだかこの世の滅亡前夜かなにかにさめて最後の夜ぐらいはと好き放題に騒ぐ……といったマンガのごとしではあるまいか? あの連中の国民をバカにしきったツラ。ニヤケた答弁と恫喝。口だけでなんら危機感を持ち合わせていないとしか思えない態度の数々。こんなのを是とするとしてもそれはは個人の自由というものだが、逆にに怒りのひとつでも湧いたとしたら、それを決して忘れてはなるまい。北海道の酔っぱらいが「体調が悪い」せいで社会人失格の態度を国際的に報じられたとか、同じく「体調が悪い」せいで接触禁止の美術品を触って騒ぎになったとかで“国の恥”のように槍玉に挙げられているけれど、国の内外に向けて恥をさらしているのはこの男だけでなく、こんな政権を許してきたわれわれ日本国民にある。もちろん、これは恥云々の問題ではないのだが。
ちょっと面白い本を入手したので、紹介しておきたい。
『司法に断罪された創価学会』(乙骨正生著・かもがわ出版)は、そのタイトルどおり、創価学会にからむいくつかの事件とその裁判を検証し、同団体の体質を白日のもとにさらした1冊である。
取り上げられている事件は、司法によって「デマ」と断じられた日蓮正宗僧侶に対する誹謗や、著者自身が被害を受けたというNTTドコモ通話記録盗取事件、矢野絢也氏(元公明党委員長)を取り巻く人権侵害などである。それぞれがこと細かに事実関係が紹介されるとともに、客観的事実として裁判所の判決文を掲載、その陰湿ともいえる体質の一端を明らかにしているが、なかには「反社会性の発生源─創価学会の教義」という小見出しで、いささか気味の悪い実態にも触れている(87ページ)。
まず、「池田大作氏をヒエラルキーの頂点とする創価学会の組織(味方)とそれを批判する者(敵)とを峻別する敵・味方二分論だ。善意の批判者や中間者の存在を認めない」とあり、さらに「創価学会はつねに正義、批判する者はつねに邪悪とする正邪論だ」とその体質を露にしているが、これは同団体の会則が池田氏を「永遠の指導者」(同書8ページ)としていることと一致しているといっていいだろう。しかし、これは宗教団体ならばありうることで、そこに反社会性が認められるわけではない。だが、続くくだりの指摘についてはどうか。
「仏法(創価学会の教義)は俗法(一般社会の法)を超える、という発想だ。 これらを総合すると、邪悪な敵を撲滅するためには社会の法をふみにじることも許される、という反社会的な信念が醸成されることになる。(中略)ある意味では恐ろしい集団ではある。」(88ページ)
この事実が、もしそのとおりに実行されているとしたら(されているからこそ本書で取り上げられているような事件が起きているのであろう)こんなに無気味なことはない。しかし、本書を一読して感じたのは、創価学会の体質そのものはそれとして、じつは同団体こそが自民党と手を結ぶのに極めて相応しい集団であることの再認識であった。振り返ってみてほしい。歴代の自民党政府が、いかに法をゆがめ、あるいは無視をし、さらに“合法的”に自らにとって都合のいい法をでっちあげてきたかを。創価学会に限らず、仮にある集団が法に触れるできごとを起こしたとすれば、それは本書で紹介されているように司法によって断罪されることになる。しかし、自民党の遣り口というのは、やりたいこと、やっていることが法に触れるのならば、それを改変してしまえばいいという発想であり、事実それをまかり通らせてきたのだからさらに悪質である。裁こうにも裁かれないようにしてしまえばいいという驕りがそこにはあり、かつ巧妙に実行してきたのだ。彼らにとって都合の悪い法(それがなんと憲法をも含むのだ)は“俗法”といわんかのごとしの思想であり手法である。そんな連中と一般社会の法を“俗法”と認識する集団とが手を結んでいるのだから、現在の衆議院の無法横暴ぶりがよく理解できるというものだ。
自民党の定向進化の最終ステージは、同類のファージのような存在に乗っ取られながら成就することになるのであろうか。そんなことを思ってしまった。合掌。
*注:
念のため触れておくと、それがどういう集団であり教義の類を信望していようとも、それが内部の規範としてのみ生きている限りは、問題とするにはあたらないと考えている。もちろん、違法行為が実行されるのは断罪されなければならないが、単に信仰の一手段としてそうした教義があるぶんには自由が保障されるべきだと思うからだ。しかし、問題はそういうあまりに独自な常識に突き動かされている宗教団体が事実上政治に影響力を及ぼしているということなのである。このことは、不法がいつ合法にされるかわからないということなのだ。
彼らが、この日本をどうしたいと考えているのかはわからないが、ヒントになりそうなフレーズが本書25ページにあったので紹介しておきたい。
[(2004年参議院選挙の)投開票から一夜明けた七月一二日付「聖教新聞」に掲載された「本当にご苦労さま! 我らは勝った!(中略)偉大な同志に最敬礼」との池田名誉会長のメッセージに(以下略)]
これはもちろん選挙結果についてのメッセージであり、しかも“政教分離”を宣言したハズの池田氏によるものである。かつ重要なのが「我ら」という人称であろう。あえてこれ以上は突っ込まないが、これは十分に恐ろしい。
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