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猫池罵詈雑言雑記帳
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 気が重い年明けである。例年、「今年の漢字」といったお題目が登場するが、いまわが国の政治に渦巻いているのは「売」であり「亡」ではないのか?

 ここにきて大手メディアがこぞって賛意を示した感のあるTPP(環太平洋連携協定)加盟問題。これについては、当ブログの『究極的「売国」への道』などでも触れたが、生存の根幹を外国や一部大資本家に売り渡しかねないおぞるべき仕組みづくりである。貿易自由化といえばいくらかは聞こえがいいかもしれないが、その自由たるや資本が大きければ大きいほど……もとい、大資本家のみがもっぱら享受できうる「自由」であることを知る必要がある。われわれ一般庶民や実態経済の根幹を支えている中小企業らにとっては、彼ら大資本に食い尽くされる「自由」があるにすぎない。これを国家レベルでみれば、「自由」を享受できるのはまずアメリカ合州国。食糧の大生産国である中華人民共和国にとってもいずれは同様であろう。自給率はもとより、第一次産業の弱体化が著しいわが国などは、彼ら生産大国によって完全に生殺与奪を握られかねないのである。
 たとえばわが国を代表する自動車産業。アメリカや中国に対し大幅な貿易黒字を達成した。これは面白くないとわが国への食糧供給をタテに自国経済の防衛に出てきることは十分に考えられる。国際的兵糧攻めである。極論すれば自動車などなくても生きてゆくことはできるが、食糧をほされればこれはもう即死。言い換えれば、第一次産業品目をもって大国や大資本がほしいままに小生産国を締め上げることが可能になる。TPP云々で謳われる「自由」とは、すなわちそういうことである。

 あるいは消費税増税が、巧妙に正当化されつつある。国の財政が危機にあることは事実であろう。そういうなか、発足当時の民主党政権がまったく手をこまねいていたとまでは思っていないが、この増税が国の財政改善に寄与しうるのか? 財政云々よりも、むしろ大資本にこそ利益を供与するというその財源でしなかいのではないか?
 消費税増税に併せての実施が目論まれている法人税減税。たしかに、先行きがみえない不景気にあって、いくばくかの減税が企業の経営を助け、雇用を含む経済的な効果を産む可能性はあるかもしれない。しかし、減税云々以前に、さまざまな控除が認められ、表向きの税率とは裏腹な納税実態があるのをどう説明すればいいのか。大銀行などは、自己の経営ミスから莫大な赤字を出しながらもわれわれの税金によって救命されたばかりでなく、長きにわたりビタ1文の法人税を収めずにきた。あるいは経営者の一方的都合が優先された雇用システムを国や政治家に働きかけたうえで成立させ、そうして可能になった低賃金雇用を活かして数百兆円にものぼる内部留保を貯えた大企業。一方で職を失ったり収入源にあえぐ大衆からの税収を増やそうとは、まさに「強きを助け、弱きをくじく」その見本ではあるまいか。
 なかには法人税減税によって企業が潤えば被雇用者の収入が改善すると考えるムキもあるかもしれないが、仮にそのとおりにいくらか増えたところで、そんなものはまるまる増税分として吸い上げられるのは明らかであろう。それどころか、大資本こそが浮いたカネを抱え込むのは、彼らのこれまでのやりくちをみれば十二分に考えられる。実態経済が改善しないかぎりは、下請けなどに対する発注や報酬の延びはありえず、ここでもまた、トクをするのはだれなのかという疑問に行き着いてしまう。消費税増税によって富を得られるのはそうした大資本のみであり、「新自由主義」が謳うような「おこぼれ」が期待できるような状況が考えられるとはとても思えない。

 軍事にからんでもキナ臭い状況がますます深化している。中国や北朝鮮、あるいはそれに便乗したわが国傀儡勢力のおかげで、米軍の沖縄駐留はまず安泰だろう。補助金などというハシタ金をチラつかせて沖縄県民をドジン扱いする日本という国の愚かしさもあるが、ここでもまた、もっとも利を得るのがアメリカ合州国という世界一の大国であり、そこに巣食う大資本であることを忘れてはならない。自民党政権時代から綿々と続く日米関係は、すなわち明らかな主従関係に基づく宗主国と傀儡国のそれであったが、いよいよその完成に近づきつつあるということかもしれない。せめてオレがくたばるまではそうならないでいてほしいものだが……。

 寄らば大樹の陰という言葉がある。それはある一面では正当化できるものかもしれないが、たとえ大樹に寄り添うにしても、自らがしっかりと根を張っていなければ結局は生き延びることなどできはしない。いまの日本の状況というのは、自らの主体性を得ないままに大樹の庇護ばかりを追い求めているようなものではないのか。しかもその大樹はけっして個々を守ってはくれはしない。
 あまり適当でないたとえかもしれないが、大企業の末端で働くひとびとが許されている仕事上の権利をみられよ。すべてがそうとまではいわないいし、必ずしも大企業だけに限ったことではないにせよ、そこにあるのは完全にマニュアル化されたロボット的労働ではないのか。それはいわゆる支店長クラスや企業によっては支社長クラスになってさえなお変わらないということはないか。もちろん業態によってはマニュアルを守ることは必須だし、そういう労働こそが向いているひともいるのだろうが、個々の主体性という視点でみたとき、はたしてそれでいいのかという気もしてくる(このごろは、そのマニュアルでさえ遵守する能力のない連中や組織もしきりにみられるが……。さらにいえば、そうして“滅私奉公”した末が「会社の都合が変わればクビ」である。クビを切るのは組織ではあるけれど、実際に手を下すのもまた被雇用者だ)。
 この問題についてはいずれじっくり考えてみたいと思っているが、ここでまず強調したいのは生きるうえでの主体性ということなのである。菅政権の右往左往ぶりなどは、まさに主体性のなさを感じさせる好例だが、ややもすると国の中枢から大衆の末端にまで、主体性をどこかに置き忘れているのが現代ニッポンなのではないかと、このごろ思わずにはいられないのである。そんなところに、必ずしも善意でない大樹にしがみつくことの危険性を憂慮せずにはいられない。言い換えれば、主体性をもって自らの行き先を見据えたいということである。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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